曹植そうしょく 字・子建
七歩に詩を成した、才あふれる悲運の貴公子
人物
曹操の第三子。幼い頃から文才に恵まれ、十歳で膨大な詩文を暗誦し、筆を取れば即座に名文が流れ出た。曹操は「わが子の中で最も大事を任せられるのはこの子だ」と愛し、一時は後継者に立てようと本気で考えた。しかし曹植は酒を愛し、礼節に縛られぬ気ままな振る舞いが多く、都の門を勝手に開いて馬車を走らせる事件を起こして父の信頼を失う。賈詡の助言と呉質の策で堅実さを演じた兄の曹丕が太子となり、曹植は政争に敗れた。曹丕が帝位に就くと、側近の丁儀兄弟は殺され、曹植自身も召し出されて「七歩の詩」を命じられる。命は助かったものの、以後は封地を転々と移され、監視下で不遇の日々を送った。甥の曹叡の代になっても中央に戻ることはかなわず、四十一歳で世を去る。魏の政治からは遠ざけられたが、その詩は千年を超えて輝き続けている。
名場面
銅雀台の賦
鄴に銅雀台が完成した日、曹操は息子たちに賦を作らせた。曹植は筆を取るや、一気に書き上げる。壮麗な楼閣と父の功業を讃えたその文は、居並ぶ文人たちを黙らせた。曹操は「お前は人に書かせたのではあるまいな」と疑うほど感嘆し、この日から曹植を特別に愛するようになる。のちに諸葛亮が赤壁の前、この賦の一節を「二喬を連れ去る」と周瑜に吹き込んで同盟を結ばせるのだから、一篇の詩が歴史を動かしたのである。
七歩の詩
帝位に就いた曹丕に呼び出された曹植は、「七歩のうちに詩を作れ。作れねば死罪だ」と命じられた。曹植は静かに歩み出す。「豆を煮るに豆がらを燃やす、豆は釜の中で泣く。もとは同じ根から生まれたのに、なぜ急いで煮詰めるのか」。同じ根から生まれた兄弟が、なぜ互いを焼くのか。曹丕は思わず涙を流し、弟を殺せなかった。才が命を救い、同時に才が一生の不遇を招いた、曹植という人物を象徴する場面である。
「本は同根より生ぜしに、相煎ること何ぞ太だ急なる」
正史ではどうだった?
正史でも父に愛され後継者候補となったが、酒と奔放な行動で信を失い、曹丕に敗れた経緯はほぼ同じ。七歩の詩は後世の説話集に由来し、正史にはない。詩人としては「洛神賦」などで建安文学の最高峰と称えられ、後世の文人に絶大な影響を与えた。