三三国志 英雄図鑑
魏魏の初代皇帝・文帝

曹丕そうひ 字・子桓

漢を終わらせ、魏を建てた冷徹な後継者

187年〜226年(享年39)#皇帝#文人#後継者争い
統率武力知力政治魅力7260788570

人物

曹操の次男だが、長兄の曹昂が早く戦死したため後継の座に最も近い位置にいた。弟の曹植は詩才で父に愛され、兄弟の間に激しい後継者争いが起きる。曹丕は賈詡や司馬懿の助言を得て、父の前では才気より孝心と堅実さを示し、ついに魏の太子に立てられた。父の死後、魏王を継ぐと、群臣を動かして献帝に禅譲を迫り、220年に皇帝に即位して国号を魏とした。四百年続いた漢王朝はここに幕を閉じる。帝位に就いてからは曹植を「七歩の詩」で追い詰め、曹彰を疑うなど、肉親に冷たい一面を見せた。一方で呉の孫権を臣従させて封じ、九品官人法を定めるなど統治の基礎を固めた。劉備の死後、五路から蜀を攻める計を立てたが諸葛亮に悉く防がれ、呉への親征も実らぬまま、在位わずか七年で四十歳の若さで世を去った。

名場面

1

父の前で流した涙

曹操が出陣する日、見送りの場で曹植は流麗な辞を述べて父を喜ばせた。負けを悟った曹丕に、側近の呉質が耳打ちする。「言葉で競ってはなりません。ただ泣きなさい」。曹丕は馬前にひれ伏し、言葉もなく涙を流し続けた。曹操も群臣も胸を打たれ、「曹植は口が巧いが、丕は心が真っすぐだ」と評判が逆転する。才を競わず情で勝つ。後継者争いの流れを変えた、したたかな一手であった。

2

禅譲の儀

曹操の死後、華歆ら群臣は献帝に迫り、「天命は魏にあり」と帝位を譲るよう強要した。献帝は涙ながらに拒むが、剣を帯びて迫る臣下たちに抗う術はない。曹丕は三度辞退する礼を演じたうえで、受禅台に登り帝位を受けた。四百年の漢はこうして終わりを告げる。即位の宴で曹丕は「舜と禹の故事を、私は今ようやく知った」と笑ったと伝わる。禅譲とは名ばかりの簒奪であることを、本人がいちばん分かっていたのである。

3

七歩の詩

帝位に就いた曹丕は、父に愛された弟の曹植を呼び出し、「七歩歩くあいだに詩を作れ。できねば死罪だ」と命じた。曹植は歩きながら、「豆を煮るに豆がらを燃やす、豆は釜の中で泣く。もとは同じ根から生まれたのに、なぜこうも急に煮詰めるのか」と詠んだ。兄弟を豆と豆がらに喩えた歌に、曹丕は涙を流して弟の命を助けた。兄の嫉妬と弟の才、そして血のつながりがひとつの詩に込められた名場面である。

「舜と禹の禅譲のことは、今日わかった」

曹丕

正史ではどうだった?

正史でも禅譲を受けて魏を建て、九品官人法を定めるなど制度面の功績が大きい。文学批評書「典論」を著した文人としても知られる。曹植への圧迫は事実だが、七歩の詩は後世の説話集に見える逸話で、正史には記されていない。