曹洪そうこう 字・子廉
天下に曹洪は無くともよいが、君は無くてはならぬ
人物
曹操の従弟。挙兵の時、私財を投じて兵を集めて馳せ参じた。反董卓連合の戦で曹操が滎陽で徐栄に大敗し、馬を失って追われた時、曹洪は自分の馬を差し出し、「天下に曹洪はいなくてもよいが、あなたがいなくては困る」と言って徒歩で付き従い、川を渡って主君を救った。この一言は曹操の生涯の恩義となる。その後も呂布との戦い、官渡、潼関と各地を転戦し、潼関では馬超に斬りかかられた曹操を身を挺して守った。漢中では張飛・馬超に対して戦い、呉蘭を討つ武功も挙げている。ただし酒好きで蓄財に熱心という欠点があり、曹丕が若い頃に金を借りようとして断った逸話があるため、曹丕が帝位に就くと罪を問われて死罪にされかけた。卞太后の取りなしで命は助かったが爵位を剥奪され、曹叡の代に復権した。曹操への忠義を貫いた一族の重鎮である。
名場面
馬を差し出す
滎陽の戦いで曹操軍は徐栄に敗れ、曹操は肩に矢を受け、馬も倒された。追っ手の足音が迫るなか、曹洪が駆けつけて自分の馬を差し出す。曹操が「お前はどうする」と問うと、曹洪は答えた。「天下に曹洪はいなくても困りませぬが、あなたがいなければ天下が困ります」。曹洪は徒歩で走り、川に行き当たると自ら曹操を背負って渡った。この夜の恩を曹操は死ぬまで忘れず、曹洪のどんな過ちも大目に見たという。
潼関で曹操を守る
潼関で馬超が怒涛の勢いで曹操に迫った時、曹操は髭を切り、袍を脱ぎ捨てて逃げた。それでも馬超の槍が背に届こうとしたまさにその瞬間、曹洪が横から斬り込み、馬超と四十合あまりを渡り合う。やがて夏侯淵も駆けつけ、曹操は九死に一生を得た。馬超の武勇に押されて息も絶え絶えになりながら、曹洪は退かなかった。滎陽に続き、二度までも主君の命を救ったのである。
「天下に洪は無くとも可なり、君無かるべからず」
正史ではどうだった?
正史でも滎陽で馬を譲った話は事実として記録され、曹操の信頼は厚かった。一方で吝嗇で知られ、曹丕に恨まれて投獄されたことも正史にある。演義では潼関で馬超と戦う場面が加えられ、武勇を強調されている。