三三国志 英雄図鑑
第3部 赤壁と三国鼎立・211年

第18章潼関の戦い:馬超の怒り

父・馬騰を殺された馬超が、西涼の軍を率いて曹操に挑む。曹操は髭を切り、袍を捨てて逃げた。

舞台:潼関・長安・渭水・許昌

赤壁の痛手から立ち直った曹操は、西方の脅威を取り除こうと考えた。涼州の雄・馬騰である。曹操は馬騰を都へ呼び寄せ、官職を与えるふりをして罠にかけた。馬騰は密かに曹操討伐を謀ったが露見し、二人の息子とともに許昌で殺される。知らせは西涼の地で待っていた長男・馬超のもとへ届いた。

馬超、字は孟起。獅子の兜に銀の鎧をまとい、「錦馬超」と呼ばれた美丈夫で、その武勇は呂布の再来とも言われた。「父の仇、討たずにおくものか」。彼は父の盟友・韓遂と手を組み、二十万と号する西涼の騎馬軍団を率いて東へ向かった。長安を落とし、関中への要・潼関に迫る。曹操は自ら大軍を率いて迎え撃った。

潼関の前で両軍が向かい合い、曹操は陣頭で馬超に語りかけた。「おぬしの父は朝廷に背いた逆臣」。「黙れ、人の父を殺しておいて」。言い終わるより早く、馬超の槍が走った。西涼の騎兵が突撃し、曹操軍は総崩れになる。「赤い袍の男が曹操だ」と西涼兵が叫ぶと、曹操は袍を脱いで捨てた。「長い髭の男が曹操だ」と聞こえると、剣で髭を切り落とした。髭を割き袍を棄てる。後世に語り継がれる、曹操一代の恥辱である。従弟の曹洪が駆けつけ、身を挺して追っ手を防がなければ、ここで曹操の命は尽きていたかもしれない。

渭水を渡ろうとする曹操を、馬超は再び追い詰めた。このとき護衛の猛将・許褚が曹操を小舟に押し込み、鞍で矢を防ぎながら対岸へ逃れさせた。後日、許褚は馬超と一騎打ちを望み、鎧を脱ぎ捨て裸のまま百合以上を打ち合った。槍を奪い合い、折れた槍の柄で殴り合う。「虎痴」と呼ばれた許褚の剛力と、馬超の神速。見守る両軍は息をすることも忘れた。

力では勝てぬと見た曹操に、参謀・賈詡が献策する。「馬超と韓遂を離間させましょう」。曹操は韓遂と馬を並べて昔話に興じ、馬超には「何を話していたのか」と疑いの種を植えつけた。さらに韓遂へ送った手紙を、わざと所々塗りつぶして書き直したように見せる。「曹操と内通しているのか」。疑いに駆られた馬超は韓遂に斬りつけ、西涼軍は内側から割れた。そこへ曹操が総攻撃をかけ、徐晃らの軍が側面を突く。馬超は従弟の馬岱とわずかな兵を連れて西へ落ち延びた。武勇では勝ち、謀では敗れる。潼関の戦いは、馬超という男の生涯を象徴する戦いであった。

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