徐晃じょこう 字・公明
大斧を振るい、関羽をも退けた魏の堅実な勇将
人物
もとは献帝を擁した楊奉の配下で、献帝が洛陽へ帰る道中、李傕・郭汜の追撃から帝を守って武名を上げた。曹操が献帝を迎える際、同郷の満寵が密かに彼の陣を訪ね、曹操に仕えるよう説得する。徐晃はこれを受け入れ、以後は曹操軍の中核として戦い抜いた。官渡では袁紹軍の兵糧隊を焼き、白狼山では烏丸と戦い、潼関では渡河点を確保して馬超を破る布石を打った。最大の武功は219年、関羽の北伐である。于禁が降り、樊城が落ちかけるなか、徐晃は寡兵で関羽の包囲陣を正面から破り、関羽本人と八十合を渡り合って退けた。曹操は陣中を見て「周亜夫の風がある」と絶賛する。曹丕の代にも呉と戦い、諸葛亮の第一次北伐の際に孟達討伐へ向かい、城から放たれた矢に当たって没した。質実剛健を絵に描いたような、魏の五将軍の一人である。
名場面
関羽との八十合
樊城を囲む関羽の陣に、徐晃は精鋭を率いて迫った。陣前で徐晃は馬上から声をかけ、「お別れしてから長い年月が経ちましたな」と旧交を懐かしむ。関羽も答えて昔を語った。だが次の瞬間、徐晃は兵に向かって叫ぶ。「関羽の首を取った者には千金を与える」。関羽が驚いて問い詰めると、「これは国事であって私事ではない」と斧を振るった。腕の傷が癒えぬ関羽は八十合で押され、ついに退く。公私をわきまえた徐晃の名場面である。
周亜夫の風
関羽を退けて樊城の囲みを解いた徐晃が本営に戻ると、曹操は陣営の外まで出迎えた。他の諸将の陣は兵たちが曹操を見ようと列を乱して騒いだが、徐晃の陣だけは一兵も動かず、整然と隊列を保っていた。曹操は感嘆して言った。「徐将軍には、かの周亜夫の風がある」。前漢の名将になぞらえた最高の賛辞である。包囲陣を正面から破り、敵将と戦い、なお兵の規律を崩さない。徐晃という将の真価はここにある。
満寵の説得
楊奉のもとにいた徐晃を、曹操は一目見て欲しがった。満寵が「同郷のよしみで私が行きましょう」と単身で徐晃の陣に忍び込み、火のそばで語り合う。「良禽は木を選んで棲むもの。楊奉ごときに仕えて一生を終えるおつもりか」。徐晃は迷ったが、主君を討つことは拒んだ。「ただ去るのみ」と数十騎を連れて曹操に投じる。義理を守りつつ新たな主を選んだ、彼らしい身の処し方であった。
「これは国の事なり、私事をもって公を廃すべからず」
正史ではどうだった?
正史でも楊奉から曹操に転じ、官渡・漢中・樊城で功を立てた五将軍の一人。関羽の包囲陣を破ったのは事実で、曹操が周亜夫になぞらえたのも記録にある。孟達討伐で矢に当たって死ぬのは演義の創作で、正史では病死。