三三国志 英雄図鑑
第2部 群雄割拠・200年

第10章官渡の戦い

河北の覇者袁紹と曹操が官渡で激突。関羽が顔良・文醜を斬り、曹操は烏巣を焼いて大勝する。

舞台:官渡・白馬・烏巣

西暦二〇〇年、河北四州を統一した袁紹は、七十万と号する大軍を率いて南下した。兵の数は曹操の十倍、兵糧も豊富。誰もが袁紹の勝利を疑わなかった。だが袁紹の陣営には、致命的な病があった。主君が決断できないのである。

参謀の田豊は「曹操は兵法に通じている。持久戦で疲れさせるべき」と諫めたが、袁紹は「戦意を挫く」と怒って田豊を牢に入れた。沮授は「兵糧の守りを固めよ」と再三訴えたが、聞き入れられない。袁紹は家柄と兵力に酔っていた。

一方の曹操は徐州の劉備を先に討ち、劉備は袁紹のもとへ逃げ、関羽は劉備の妻子を守るために曹操に降っていた。曹操は関羽を厚く遇し、赤兎馬まで贈った。関羽は言う。「この馬があれば、兄の居場所を知ったとき一日で駆けつけられる」。曹操は苦笑するしかなかった。

開戦の火ぶたは白馬で切られた。袁紹の先鋒・顔良は曹操の将を二人まで斬り、誰も立ち向かえない。曹操は関羽を呼んだ。関羽は丘の上から顔良の陣を見下ろし、言った。「あれは首を売りに来た男です」。赤兎馬が駆け下りた。顔良が何者か問う間もなく、青龍刀が一閃して首が落ちた。

続く延津では、顔良の仇を討とうと文醜が押し寄せた。曹操はわざと兵糧と馬を道にばらまき、袁軍が奪い合うところを襲う。乱戦の中、張遼・徐晃が退けられたとき、ふたたび関羽が現れた。文醜は三合で背を向け、追いついた関羽に斬られた。河北の二枚看板は、たった一人の武将に討たれたのである。

両軍は官渡で対峙した。袁紹は土山を築いて櫓から矢を降らせ、曹操は石を飛ばす車で櫓を砕く。袁紹が地下道を掘れば、曹操は長い堀で防ぐ。半年が過ぎ、曹操の兵糧は底をつきかけた。曹操は許の荀彧に手紙を送り、退却の是非を問う。荀彧の返事は決然としていた。「いま退けば終わりです。敵もまた疲れています。異変は必ず起きます」。

異変は起きた。袁紹の参謀・許攸が、袁紹に軽んじられ、家族が罪に問われたことに憤って曹操の陣に走ったのである。曹操は裸足で迎えに出た。許攸は告げた。「袁紹の兵糧はすべて烏巣にある。守りは薄い」。

その夜、曹操は自ら五千の兵を率い、袁軍の旗を掲げて烏巣に忍び寄った。火が放たれ、兵糧の山は天を焦がす炎となった。袁紹は救援を送らず、逆に曹操の本陣を攻めさせたが、守りは固い。本陣攻めを命じられた張郃と高覧は、讒言を恐れて曹操に降った。

袁紹の大軍は崩れ去った。袁紹は八百騎で黄河を渡って逃げ、沮授は捕らえられて降伏を拒み、牢の田豊は「主君は負けて帰れば、恥じて私を殺すだろう」と予言どおりに殺された。曹操は袁紹の陣で、自軍の者が袁紹に内通した手紙の束を見つけたが、読まずに焼いた。「袁紹の強きに、われ自身さえ身を保てなかった。ましてや他の者は」。寡をもって衆を破る。官渡の戦いは、曹操を北方の覇者へと押し上げた。

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