三三国志 英雄図鑑
群雄袁紹の硬骨の軍師

田豊でんほう 字・元皓

正しすぎて疎まれ、勝っても負けても殺された忠臣

?〜200年#軍師#袁紹配下#直言#獄死
統率武力知力政治魅力5530928060

人物

袁紹に仕えた軍師で、剛直な性格ゆえに主君に疎まれた悲劇の忠臣である。冀州の名士で、若くして博学で知られ、袁紹が冀州を得ると別駕として迎えられた。田豊の献策はことごとく正しかった。公孫瓚討伐には大功を立て、曹操が劉備を攻めて許が手薄になったときには「今こそ許を衝け」と進言したが、袁紹は幼い息子の病を理由に動かず、田豊は杖で地を叩いて嘆いた。いよいよ官渡の決戦となると、今度は「曹操は兵法に長けている。正面から戦わず、兵を分けて撹乱しながら三年かけて疲れさせよ」と持久策を説いた。短期決戦を望む袁紹は怒り、田豊を獄につないで出陣する。官渡で大敗した袁紹は、「田豊に笑われる」のを恐れて剣を送り、田豊は獄中で自害した。袁紹の器量の限界を一身に映し出す、哀れで気高い人物である。

名場面

1

許を衝けと叫ぶ

曹操が劉備を討つため徐州へ出陣し、許が空になったとき、田豊は袁紹のもとへ駆け込んだ。「曹操の本拠が空です。今すぐ許を衝けば、曹操は帰る場所を失います」。しかし袁紹は憔悴した顔で「末の子が病で苦しんでいる。今は出陣の気になれぬ」と答えた。田豊は杖で地面を叩き、「千載一遇の機会を、赤子の病で逃すとは。惜しい、惜しい」と足を踏み鳴らして出ていった。劉備はこのとき曹操に敗れ、関羽は曹操に降ることになる。

2

獄中の自害

官渡の敗報が獄に届くと、獄吏は田豊に「先生の言ったとおりになりました。殿はきっと先生を重用なさいます」と祝った。田豊は静かに首を振った。「袁公は外は寛容に見えて内は猜疑の人だ。勝っていれば喜んでわしを許しただろうが、負けて恥をかいた今、わしを生かしてはおかぬ」。その言葉どおり、袁紹の使者が剣を持って現れた。田豊は「大丈夫として天地に生まれ、主を見誤った。死ぬのが当然だ」と言い、自ら首をはねた。

「袁公は外は寛容に見えて、内は猜疑の人だ」

田豊

正史ではどうだった?

正史でも剛直で袁紹に疎まれ、持久策を献じて獄につながれ、官渡の敗北後に殺された点は同じである。曹操は田豊が袁紹の軍中にいないと聞いて「袁紹は必ず負ける」と喜び、勝った後は「田豊の策が使われていたら勝敗はわからなかった」と語ったと記される。敵からもその知略を恐れられた男であった。