三三国志 英雄図鑑
群雄河北四州の覇者

袁紹えんしょう 字・本初

四世三公の名門の御曹司、天下に最も近かった男

?〜202年#名門#河北#官渡#優柔不断
統率武力知力政治魅力8068657085

人物

四代にわたって三公を輩出した名門袁家の御曹司であり、曹操が台頭する前は天下に最も近い男と目されていた。宦官誅殺を何進に進言し、董卓の廃立に剣を抜いて反対して洛陽を去り、反董卓連合では盟主に推された。その後は冀州を譲り受け、公孫瓚を界橋で破って滅ぼし、冀・青・幽・并の四州を手中に収める。顔良・文醜の猛将と田豊・沮授の名参謀をそろえ、天下一の大勢力であった。しかし、その決断力のなさが命取りとなる。献帝を迎えよという沮授の献策を退け、曹操が隙を見せた時には息子の病を理由に動かず、官渡では田豊の持久策を聞き入れずに決戦を挑んで烏巣の兵糧を焼かれ、大敗した。失意のうちに病に倒れ、後継を定めなかったために息子たちは争い、袁家は曹操に飲み込まれた。器は大きかったが、天下を握る覚悟には欠けた人物である。

名場面

1

董卓に剣を抜く

董卓が少帝の廃立を宣言した宴席で、袁紹は真っ向から立ち上がった。「天子に過ちはない。嫡子を廃して庶子を立てるのは反逆である」。董卓が「天下のことは我が決める。我が剣が鋭くないと思うか」と凄むと、袁紹も剣を抜いて「貴様の剣だけが鋭いと思うな」と応じ、そのまま洛陽を去った。名門の誇りが暴君に屈しなかったこの場面が、反董卓連合の盟主の座へと彼を押し上げた。

2

官渡の決戦

七十万と号する大軍で曹操の官渡を包囲した袁紹は、沮授の持久策も許攸の許都急襲策も退け、進言した者を次々と遠ざけた。見放された許攸は曹操に走り、烏巣の兵糧庫の場所を教える。曹操が自ら烏巣を焼くと、袁紹は救援より官渡の本陣攻撃を選んで張郃・高覧を向かわせ、二人は失敗して曹操に降った。兵糧を失い名将を失った大軍は崩れ去り、袁紹は八百騎で逃げ帰った。

3

田豊の予言

官渡の出陣前、田豊は獄中から持久策を訴え、怒った袁紹に「戦に勝って帰ったら殺す」と言われていた。大敗の知らせが届くと、獄吏は「田豊殿の言ったとおりだ、殿はきっとあなたを重く用いるでしょう」と喜んだが、田豊は「袁公は外面は寛大だが内心は猜疑心が強い。負けて恥をかいた今、わしは生きて帰れぬ」と答えた。はたして袁紹は田豊に剣を送り、自害を命じた。袁紹の器の限界を映す逸話である。

「貴様の剣だけが鋭いと思うな」

袁紹

正史ではどうだった?

正史でも反董卓連合の盟主、河北四州の制覇、官渡の敗北、死後の兄弟争いはほぼそのままである。ただし官渡の兵は七十万ではなく十万ほどで、それでも曹操を大きく上回っていた。若い頃は清流派の名士として宦官に対抗し、曹操とは洛陽時代からの遊び仲間であった。