何進かしん 字・遂高
肉屋から大将軍へ。宦官を侮って首を取られた外戚
人物
もとは南陽の肉屋の息子であったが、妹が霊帝の皇后となったことで一気に出世し、大将軍にまでなった外戚である。霊帝が崩御すると、妹の何皇后が産んだ少帝を即位させ、朝廷の実権を握る。だが宮中には十常侍と呼ばれる宦官の一団が巣食っており、何進はこれを一掃しようと考えた。袁紹が「今すぐ宦官を皆殺しに」と迫り、曹操は「獄吏一人で済むことだ」と忠告したが、何進は決断できず、あろうことか董卓ら地方の軍閥を都に呼び寄せて宦官に圧力をかけようとした。これを察知した宦官たちは、何皇后の名を使って何進を宮中に呼び出す。周囲が「罠だ」と止めるのも聞かず、何進は自信満々で宮中に入り、嘉徳殿の前で宦官たちの刃にかかって斬り殺された。この一件が董卓の入京を招き、乱世の幕が本格的に上がることになる。
名場面
董卓を呼ぶ
宦官を討とうとしながら、妹の何太后に反対されて踏ん切りがつかない何進に、袁紹は「地方の諸侯を都に呼び寄せ、太后に圧力をかけましょう」と進言した。曹操は「宦官を除くなら首謀者だけを獄吏に捕らえさせれば済む。外から兵を呼べば必ず失敗する」と笑った。だが何進は「孟徳も私心があるな」と取り合わず、董卓に上洛を命じた。この一手が漢王朝を滅ぼすことになる。
嘉徳殿前の死
董卓の上洛を知った十常侍は、何太后の勅命と偽って何進を宮中に呼び出した。袁紹と曹操は「十常侍の謀略です、お入りになってはなりません」と止めたが、何進は「わしは天下の兵を握っている。宦官ごときに何ができる」と笑って一人で宮門をくぐった。嘉徳殿の前で待ち構えていた宦官たちは何進を取り囲み、斬り殺した。何進の首は門外に投げ出され、袁紹らが宮中に乱入して宦官を皆殺しにした。
「わしは天下の兵を握っている。宦官ごときに何ができる」
正史ではどうだった?
正史でも肉屋出身の外戚で、宦官誅殺を企てて逆に殺された流れは同じである。董卓ら地方の兵を呼んだのが袁紹の進言によることも記され、曹操が笑って反対したという話も伝わる。黄巾の乱では大将軍として洛陽の防衛を指揮し、乱の鎮圧には一定の功があった。