董卓とうたく 字・仲穎
帝を廃し都を焼いた、乱世の扉を開く暴君
人物
涼州の辺境で羌族と渡り合って育った豪傑であり、三国志の乱世を本格的に幕開けさせた男である。何進が宦官を討つために地方の兵を呼び寄せたとき、董卓は軍勢を率いて洛陽へ乗り込み、宦官誅殺の混乱に乗じて幼い皇帝を手中に収めた。少帝を廃して陳留王を献帝に立て、自らは相国となって朝廷を思うままに動かし、夜ごと宮中で酒宴にふけり、民を虐げた。反董卓連合が立ち上がると洛陽を焼き払って長安へ遷都し、郿塢という巨大な砦に財宝を蓄えて栄華を誇った。しかし養子の呂布を貂蝉を使った王允の連環の計に奪われ、朝廷の門前で呂布の戟に倒れる。その巨体の腹に灯芯を差して火を点けると数日燃え続けたという逸話は、民の怨みの深さを今に伝えている。
名場面
少帝の廃立
洛陽に入った董卓は、群臣を集めた宴席で突然「天子は暗愚であるから、陳留王を帝に立てる」と言い放った。異を唱えた丁原を呂布の寝返りで排し、剣を抜いて反対する者を脅しつけ、ついに少帝を廃して献帝を即位させた。皇帝をすげ替えるという前代未聞の暴挙に、諸侯の怒りは一気に燃え上がり、反董卓連合結成の引き金となった。
洛陽炎上と長安遷都
反董卓連合の勢いに押された董卓は、洛陽を捨てて長安へ都を移すと決めた。数百万の民を無理やり追い立て、歴代の皇帝の陵墓を暴いて財宝を奪い、宮殿も民家もことごとく火を放った。数百年の都がひと晩で灰燼に帰す光景は、演義の中でも屈指の惨劇である。この焼け跡で孫堅が伝国の玉璽を拾うという、次の波乱の種もまかれた。
連環の計にかかる
王允は養女の貂蝉をまず呂布に、次いで董卓に差し出し、二人の間に嫉妬の炎を燃え上がらせた。鳳儀亭で貂蝉と語らう呂布を見つけた董卓は、怒りのあまり画戟を投げつけ、養父子の絆は完全に裂けた。やがて献帝が帝位を譲るという偽の知らせにおびき出された董卓は、宮門の前で呂布に討たれる。「わが児奉先はいずこか」と叫んだ瞬間、答えたのは呂布の戟であった。
「わが児奉先はいずこか」
正史ではどうだった?
正史でも暴政と洛陽焼き討ち、呂布に討たれた最期はほぼ同じである。ただし貂蝉は登場せず、呂布が董卓の侍女と密通していたこと、董卓が些細なことで呂布に戟を投げたことが寝返りの引き金だった。若い頃は羌族の有力者と交わり、気前よく牛を振る舞う豪快な人物であったとも記される。