三三国志 英雄図鑑
群雄後漢最後の皇帝

献帝けんてい 字・伯和

権臣に翻弄され続けた、四百年の王朝の幕引き役

181年〜234年(享年53)#皇帝#後漢#衣帯の詔
統率武力知力政治魅力3020655570

人物

後漢最後の皇帝で、名は劉協。霊帝の子として生まれ、九歳で董卓によって兄の少帝に代わり帝位につけられた。以来その生涯は権臣たちの掌の上にあった。董卓に洛陽を焼かれて長安へ移され、董卓の死後は李傕・郭汜の争いに巻き込まれて都を追われ、飢えに苦しみながら東へ流浪する。そこへ現れたのが曹操であった。許に迎えられて飢えからは救われたが、今度は曹操が朝廷を完全に握り、献帝は飾り物の皇帝となる。許田の巻狩りで曹操の無礼を目の当たりにした献帝は、衣帯に密勅を縫い込んで董承らに曹操討伐を命じたが発覚し、董承は一族とともに殺され、皇后も曹操の手で殺された。曹操の死後、曹丕に帝位を譲らされ、山陽公として余生を送る。四百年続いた漢王朝は、この気弱で心優しい皇帝の手で幕を閉じた。

名場面

1

衣帯の詔

許田の巻狩りで曹操が帝の矢を横取りし、群臣の万歳を自らへの歓呼のように受けたのを見て、献帝は屈辱に震えた。宮中に戻ると指を噛んで血を流し、血文字で曹操討伐の密勅をしたため、衣帯の裏に縫い込んで国舅の董承に下賜した。董承は劉備や馬騰らを同志に集めたが、計画は発覚する。董承は一族もろとも殺され、董承の妹である董貴妃も目の前で殺された。帝の涙は、曹操の心を動かすことはなかった。

2

禅譲の日

曹操が死ぬと、魏王を継いだ曹丕の臣下たちは連日、献帝に帝位を譲るよう迫った。献帝は「祖先四百年の天下をわたしの代で失うのか」と泣いたが、華歆は剣を帯びて迫り、拒めば命はないという勢いであった。ついに献帝は受禅台で玉璽を曹丕に渡し、漢は滅びて魏が立った。献帝は山陽公に封じられて都を去る。幼い日に董卓に担がれてから三十年、この帝が自らの意志で下した決断は、ほとんどなかった。

「祖先四百年の天下を、わたしの代で失うのか」

献帝

正史ではどうだった?

正史でも九歳で即位し、董卓・李傕・曹操と権臣に次々と擁され、曹丕に禅譲した流れは同じである。衣帯の詔も董承の事件として史実に記されるが、血書の下りは演義の脚色とされる。禅譲後は山陽公として比較的穏やかに暮らし、五十四歳で没した。曹丕より長生きである。