三三国志 英雄図鑑
蜀蜀漢の初代皇帝

劉備りゅうび 字・玄徳

人の心を掴んで離さない、仁徳の君主

161年〜223年(享年62)#君主#仁徳#桃園の義兄弟
統率武力知力政治魅力7573747899

人物

幽州涿郡の生まれ。前漢の中山靖王の末裔を名乗るが家は貧しく、母とともに筵や草鞋を売って暮らしていた。黄巾の乱が起こると関羽・張飛と桃園で義兄弟の契りを結び、義勇軍を率いて立ち上がる。以後、公孫瓚・陶謙・曹操・袁紹・劉表と頼る先を転々とする流浪の日々が続いたが、どこへ行っても人々に慕われ、仲間が離れなかった。荊州で諸葛亮を三顧の礼で迎えてからは運が開け、赤壁の戦いの後に荊州を得て、さらに益州を奪って漢中王となる。二二一年、成都で皇帝に即位し蜀漢を建国。しかし関羽の仇を討つため呉へ攻め込んだ夷陵の戦いで大敗し、白帝城で諸葛亮に後事を託して世を去った。

名場面

1

桃園の誓い

黄巾賊が天下を荒らすなか、義勇兵募集の高札の前でため息をついた劉備に、豪傑張飛が声をかけた。そこへ流れ者の関羽も加わり、三人は張飛の家の裏の桃園で天地に誓いを立てる。「同年同月同日に生まれることはできなかったが、願わくは同年同月同日に死なん」。この日から、劉備の長い旅が始まった。

2

髀肉の嘆

荊州の劉表のもとに身を寄せ、戦のない日々が続いたときのこと。厠で自分の太ももにたっぷり肉がついているのに気づいた劉備は、思わず涙をこぼした。「昔は鞍から離れず、腿の肉など落ちていた。いまは馬にも乗らず、肉がつくばかり。歳月は過ぎ、功は立たず」。安楽に甘んじない、志の人の嘆きである。

3

三顧の礼

徐庶に「臥龍」を勧められた劉備は、関羽・張飛を連れて隆中の草庵を訪ねた。一度目も二度目も留守。三度目は昼寝する諸葛亮が目を覚ますまで、庭に立ち続けた。張飛は怒って家に火をつけると息巻いたが、劉備はそれを制した。誠意が通じ、諸葛亮は天下三分の計を説いて山を下りる。

4

白帝城の託孤

夷陵で陸遜に敗れた劉備は、白帝城で病の床についた。駆けつけた諸葛亮の手を取り、「わが子が補佐するに足るなら助けてほしい。もし才がなければ、君が成都の主となれ」と告げる。諸葛亮は床に額をこすりつけて泣き、忠義を誓った。君臣の信頼が極まった、三国志屈指の名場面である。

「同年同月同日に生まれることはできなかったが、願わくは同年同月同日に死なん」

劉備

正史ではどうだった?

正史でも中山靖王の末裔と記され、人望の厚さは共通する。ただし演義ほど涙もろい人物ではなく、むしろ気性が激しく豪胆な面があった。督郵を鞭打ったのは張飛でなく劉備自身である。曹操に「天下の英雄は君と余だ」と評された話は正史にもある。