三三国志 英雄図鑑
第3部 赤壁と三国鼎立・209〜210年

第17章荊州争奪と周瑜の死

赤壁の勝利の後、荊州をめぐって周瑜と諸葛亮の知恵比べが始まる。三度謀られた周瑜は血を吐いて倒れた。

舞台:南郡・柴桑・荊州・巴丘

赤壁の火が消えると、次の争いは荊州の土地そのものだった。周瑜はまず曹操の従弟・曹仁が守る南郡へ攻め寄せる。曹仁は守城に長けた魏の名将で、城門を開いて誘い込み、周瑜を毒矢で射た。矢は脇腹に深く刺さり、周瑜は馬から落ちる。だが彼は諦めなかった。重傷のまま死んだと噂を流し、油断して夜襲に出てきた曹仁の軍を逆に打ち破ったのである。

意気揚々と南郡へ向かった周瑜は、城壁の上に翻る旗を見て息を呑んだ。「常山の趙子龍、ここにあり」。劉備の武将・趙雲である。諸葛亮は、周瑜と曹仁が消耗し合う間に曹仁の軍符を奪い、空になった南郡ばかりか荊州城と襄陽まで、労せずして手に入れていた。「われらが血を流し、あやつらが実を取るか」。周瑜は怒りで傷口が開き、気を失った。これが「一気」である。

周瑜は次に、劉備の妻が亡くなったと聞いて策を練った。主君・孫権の妹・孫尚香との縁談を持ちかけ、劉備を呉へ呼び寄せて人質に取ろうというのだ。だが諸葛亮は趙雲に三つの錦の袋を持たせて劉備に随行させた。袋の計のとおり、劉備は呉の重臣たちに婚礼を大々的に知らせて逃げ道を塞ぎ、孫権の母・国太に気に入られて本当に婿になってしまう。しかも武芸を好む気丈な孫尚香が、夫を守って呉の追っ手を叱り飛ばした。「周郎の妙計、天下を安んず。夫人を賠って兵まで失う」。岸から響く劉備軍の囃し声に、周瑜は再び倒れた。

三度目、周瑜は「劉備に代わって蜀を取りに行くから、道を借りたい」と申し入れた。実は通り道の荊州を奪うつもりだったが、諸葛亮はこれも見抜いていた。周瑜が荊州の城下へ来ると、四方から趙雲・関羽・張飛・黄忠の軍が現れ、「周都督、蜀を取りに行くのではなかったのか」と嘲笑う。周瑜は天を仰ぎ、血を吐いた。

「既に瑜を生みながら、何ぞ亮を生ぜる」。天がこの周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮まで生んだのか。そう叫んだ周瑜は巴丘で息を引き取った。三十六歳。呉の重臣・魯粛が後を継ぎ、諸葛亮は自ら柴桑へ弔いに赴いて涙を流した。呉の武将たちは恨み深く見つめたが、その哀悼の真情に剣を抜く者はいなかった。孫権は悲しみながらも、劉備という厄介な隣人と向き合っていくほかなかった。

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