三三国志 英雄図鑑
呉呉の初代皇帝

孫権そんけん 字・仲謀

碧眼紫髯、人を用いて国を守った若き君主

182年〜252年(享年70)#君主#人材登用#赤壁
統率武力知力政治魅力8067808992

人物

兄・孫策の急死によって、孫権はわずか十九歳で江東の主となった。碧い目に赤みがかった髭、角ばったあごという異相で、兄の遺言どおり張昭と周瑜を柱に国を固める。父の仇・黄祖を討ち、曹操の大軍が南下してくると、降伏論に揺れる群臣の前で机の角を斬り落として開戦を宣言した。赤壁の大勝で江東を守り抜き、以後は劉備と手を結んでは争い、荊州をめぐって関羽を討ち、夷陵で陸遜に劉備を破らせる。そのいっぽうで必要とあらば曹丕に臣従する柔軟さも持ち合わせていた。二二九年、ついに皇帝を称し、呉を建国する。若き日には甘寧や呂蒙を抜擢する名君ぶりを見せたが、晩年は後継者争いで国を乱し、陸遜を憤死させるなど、惜しまれる影も残した。七十一歳で崩御した。

名場面

1

机を斬って戦を決す

曹操八十万と称する軍勢が迫り、呉の廷臣は口々に降伏を説いた。孫権はいったん奥へ下がり、魯粛にだけ本音を聞く。「降れば私たちは家に帰れる。だが殿はどこへ帰るのです」。その一言で腹が決まった。周瑜が到着して勝算を説くと、孫権は剣を抜き、目の前の机の角を斬り落として言った。「これより降伏を口にする者は、この机と同じになると思え」。赤壁の戦いは、この一太刀から始まった。

2

逍遥津の危機

合肥を攻めた孫権は、張遼の猛攻に陣を崩され、逍遥津の橋のたもとまで追い詰められた。橋はすでに壊され、川幅は一丈以上。部下の谷利が「馬を後ろへ下げ、思い切り鞭を」と叫ぶ。孫権が馬腹を蹴ると、馬は宙を飛んで対岸に着いた。凌統が身を捨てて追っ手を食い止め、孫権は辛くも生き延びる。この敗戦の記憶から、魏では「張遼の名を聞けば呉の子どもが泣き止む」と語られたという。

3

若い者に目をかける

孫権の真骨頂は人を見抜く目にあった。無学だった呂蒙に書物を勧めて学者顔負けの将に育て上げ、かつて敵として自分に矢を射かけた甘寧を迎え入れて重く用いた。書生あがりの陸遜を大都督に据えて夷陵を任せたのも彼である。曹操が「息子を持つなら孫仲謀のような男を」とつぶやいたという逸話は、敵からすら羨まれる、その器の証しであった。

「これより曹操に降れと言う者は、この机と同じになるものと思え」

孫権

正史ではどうだった?

正史でも慎重で現実的な君主として描かれる。机を斬った場面は演義の演出だが、張昭と周瑜に補佐されて若くして基盤を固めた点は史実に近い。晩年の二宮の変と呼ばれる後継者争いで国力を損なったことも記録されている。