三三国志 英雄図鑑
呉呉の大都督

呂蒙りょもう 字・子明

呉下の阿蒙にあらず、関羽を討った学ぶ武人

178年〜220年(享年42)#武将#荊州奪還#士別れて三日
統率武力知力政治魅力9082867278

人物

呂蒙は汝南の貧しい家に生まれ、十代で姉の夫を頼って孫策の軍に飛び込んだ。学はなかったが度胸は抜群で、孫権の代には赤壁、南郡の戦いで功を重ねる。ある日孫権に「将たる者、書を読め」と諭されて猛勉強を始め、久しぶりに会った魯粛を議論で驚かせた。「もはや呉下の阿蒙ではない」「士別れて三日なれば、刮目して相待すべし」という故事の主である。魯粛の後を継いで大都督となると、関羽が樊城を攻めている隙を狙い、病と偽って陸遜に任を譲り、油断した関羽の背後をついた。兵を商人に変装させた白衣渡江で荊州の守りを無血で奪い、関羽を麦城に追い詰めて捕らえる。だが演義では、戦勝の宴で関羽の霊に取り憑かれ、血を吐いて死んだと描かれる。四十二歳であった。

名場面

1

呉下の阿蒙にあらず

武一辺倒だった呂蒙に、孫権は「書を読め」と勧めた。軍務が忙しいと渋る呂蒙に、孫権は「わしがお前に学者になれと言うか。昔のことを知っておけと言うのだ」と諭す。それから呂蒙は寝る間を惜しんで史書と兵法を読みふけった。後日、魯粛が陣を訪ねて話をすると、その見識に驚き、「もう昔の阿蒙ではないな」と背中を叩いた。呂蒙は「士は別れて三日もすれば、目をこすって見直すものですよ」と笑った。

2

白衣渡江

関羽が北へ出払った隙をつき、呂蒙は精兵を商船の中に隠し、兵たちに白い衣を着せて商人に化けさせた。船は長江の見張り所をひとつずつ通り過ぎ、見張りの兵は疑いもせずに酒と銭を受け取る。夜になると船底から兵が躍り出て、見張りを一人残らず捕らえた。烽火はひとつも上がらず、荊州の城はほとんど血を流さずに呉の手に落ちた。関羽が気づいたとき、帰る場所はもう無かった。

3

祝宴の怪

荊州を取り戻した孫権は、呂蒙をねぎらう大宴会を開いた。杯を受け取った呂蒙は突然、杯を投げ捨てて孫権の襟首をつかみ、「碧眼の小僧、わしを覚えておるか。わしは漢寿亭侯・関雲長なり」と叫ぶ。諸将が震え上がるなか、呂蒙は七つの穴から血を流して倒れた。関羽の祟りと恐れられたこの死は、荊州奪取の栄光に暗い影を落とす、演義の忘れがたい幕切れである。

「士は別れて三日なれば、刮目して相待すべし」

呂蒙

正史ではどうだった?

正史の呂蒙は病死であり、関羽の祟りは演義の創作。荊州攻略では民衆に一切の略奪を禁じ、傘一本を取った同郷の兵さえ泣いて処刑したと伝わる。孫権は呂蒙の病を案じ、壁に穴をあけて様子をのぞくほど彼を大切にしていた。