凌統りょうとう 字・公績
父の仇を越えて、主君のために命を張った男
人物
凌統は呉郡の人で、父の凌操は孫策、孫権に仕えた勇将だった。その父が黄祖討伐の戦で、黄祖配下だった甘寧の矢に射殺される。凌統は十五歳で父の兵を引き継ぎ、以後は仇の甘寧を殺すことだけを胸に秘めて生きた。皮肉なことに、その甘寧はやがて呉へ降り、同じ主君に仕える同僚となる。孫権は二人を遠ざけて争いを防いだが、凌統の怒りは消えず、宴席で剣舞にかこつけて斬りかかったこともある。しかし合肥の戦いで楽進に追い詰められたとき、彼を救ったのは甘寧の矢だった。凌統は涙を流して恨みを捨て、二人は友となる。同じ合肥で張遼に包囲された孫権を逃がすため、凌統は三百の兵とともに橋のたもとで踏みとどまり、全員を失いながら自らは傷だらけで川を泳いで戻った。主君のために命を張る、その姿こそが凌統という将の本領であった。
名場面
剣舞に託した恨み
孫権の宴席で、凌統は「剣舞をご覧に入れる」と立ち上がった。甘寧がすぐに気づく。これは剣舞ではなく、自分への刃だ。甘寧は双戟を手に「わしも舞おう」と立ち、二人は刃を交えながら舞い続けた。見かねた呂蒙が盾と刀を持って割って入り、ようやく騒ぎは収まる。孫権は凌統を呼んで「甘寧はもうわが家臣、父の仇は水に流してくれ」と諭した。凌統は泣いて「殿の命とあらば」と答えたが、その目はまだ恨みに燃えていた。
逍遥津、三百の兵と
合肥で張遼の奇襲を受けた孫権は、逍遥津の橋へ追い詰められた。凌統は三百の手勢を率いて橋の手前で踏みとどまり、殺到する魏兵を迎え撃つ。孫権が馬で橋を飛び越えたのを見届けると、凌統は最後の一兵まで失い、自身も体中に傷を受けながら甲冑のまま川に飛び込んだ。向こう岸へ泳ぎ着いた凌統を、孫権は抱きしめて泣いた。三百の兵は一人も帰らなかったが、その犠牲が呉の君主を救った。
仇の矢に救われて
合肥の別の戦いで、凌統は魏の猛将・楽進と五十合を渡り合った。そのとき横から曹休が矢を放ち、凌統の馬が倒れる。楽進が槍を構えて迫った、その瞬間、一本の矢が楽進の顔に突き立った。射たのは、凌統が仇と狙い続けていた甘寧であった。陣に戻った凌統は甘寧の前にひれ伏し、「命を救われた上は、もう仇などとは思いませぬ」と頭を下げる。長年の怨恨は、この一矢で消えた。
「命を救われた上は、仇など二度と口にしませぬ」
正史ではどうだった?
正史でも凌操が甘寧に射殺されたこと、凌統が仇を狙ったこと、逍遥津で孫権を救ったことは記録される。甘寧に救われて和解する場面は演義の創作で、史実では二人の関係は孫権が仲裁しただけに留まる。没年は諸説あり、孫権はその死を深く悼んだ。