三三国志 英雄図鑑
呉呉の大都督

魯粛ろしゅく 字・子敬

孫劉同盟を結んだ、人のよい大戦略家

172年〜217年(享年45)#軍師#同盟#外交
統率武力知力政治魅力7856889087

人物

魯粛は臨淮の豪族の出で、周瑜が兵糧を求めると二つある米蔵のうち一つをまるごと差し出したという太っ腹の男である。周瑜の推挙で孫権に仕え、初めての対面で「漢はもう立て直せない。江東に拠って天下の形勢を見よ」と大戦略を説いた。曹操が南下すると、ただ一人降伏に反対して孫権の背中を押し、自ら劉備のもとへ赴いて諸葛亮を連れ帰り、孫劉同盟を結ぶ。赤壁では周瑜と諸葛亮のあいだに立ち、周瑜の謀略から諸葛亮を幾度もかばった。演義では諸葛亮に翻弄される人のよい調停役として描かれるが、荊州の貸し借りをめぐる関羽との単刀赴会のように、肚のすわった場面も見せる。周瑜の死後は大都督として呉軍を預かり、同盟維持に心を砕いて四十六歳で没した。

名場面

1

帰るべき場所はどこか

群臣が降伏を説くなか、席を立った孫権を魯粛が追った。「皆は降れば官職を得て家に帰れます。しかし殿が降れば、どこへ帰るというのです」。孫権ははっとして、「皆の意見には失望したが、そなただけがわしの心を知っている」と手を取った。立場の違いを見抜いたこの一言こそ、赤壁の戦いの出発点であり、魯粛という人物の深さを物語る。

2

草船借箭を見届ける

周瑜は諸葛亮に十日で十万本の矢を用意せよと無理を言い、諸葛亮は三日でよいと受けた。魯粛は頼まれて船二十隻と藁人形を密かに用意し、霧の夜に諸葛亮とともに船に乗る。曹操の陣の前で太鼓を打ち鳴らすと、霧を恐れた曹操軍が矢を雨のように射かけ、藁人形は矢で針鼠のようになった。魯粛は肝を冷やしながら、ただ酒を飲んでいる諸葛亮を見て、この男は人間ではないと思ったという。

3

単刀赴会

荊州を返さぬ関羽を宴に招き、酒の席で問い詰めようと魯粛は策を練った。しかし関羽は刀一振りと周倉だけを連れて堂々と現れ、酒を飲みながら荊州の話を軽く受け流す。やがて魯粛の手を取ったまま船着き場まで歩き、呉の伏兵は手出しができなかった。演義では関羽の豪胆を際立たせる場面だが、正史ではむしろ魯粛が関羽を理詰めで言い負かした会談として伝わっている。

「私たちは降っても家に帰れます。殿は、どこへ帰るのです」

魯粛

正史ではどうだった?

正史の魯粛は、孫権に天下二分の計を献じた呉随一の戦略家で、演義のお人好し像とは隔たりが大きい。単刀赴会でも魯粛が関羽を堂々と論破しており、劉備との同盟を軸とした外交は一貫していた。孫権は後年、その先見を高く称えている。