三三国志 英雄図鑑
第3部 赤壁と三国鼎立・208年

第16章赤壁の戦い:苦肉の計と東南の風

周瑜と諸葛亮の知略が結実し、長江に炎が走る。曹操の大軍は一夜で崩れ去った。

舞台:赤壁・烏林・三江口・七星壇

建安十三年の冬、長江の北岸・烏林には曹操の大軍が陣を連ね、南岸の赤壁には孫権と劉備の連合軍がこれを睨んでいた。兵力はおよそ二十万対五万。だが北方育ちの曹操軍は船に慣れず、兵たちは揺れる甲板で吐き、疫病までが広がっていた。「この揺れさえなければ」。曹操がそう漏らしたころ、鳳雛と呼ばれた軍師・龐統が密かに曹操の陣を訪れる。「船どうしを鎖でつなぎ、板を渡せば、まるで陸地のように安定しましょう」。曹操は喜んで船を連結させた。これこそ、火攻めのための下ごしらえ「連環の計」であった。

一方、呉の総司令官・周瑜は火攻めを決めながらも、曹操の船団に近づく手立てがなかった。そこへ名乗り出たのが、孫堅の代から仕える老将・黄蓋である。軍議の席で黄蓋はわざと周瑜に逆らい、降伏を主張した。「斬れ」。周瑜の怒声とともに黄蓋は百叩きの刑に処され、血まみれで引き立てられていく。曹操の間者はこれを見て報告し、やがて黄蓋から「呉を裏切り、糧船を率いて降る」という密書が届いた。わが身を傷つけて敵を欺く、「苦肉の計」である。

曹操の参謀・程昱だけは首をかしげた。「冬は北西の風が吹くもの。南岸からの火攻めなど届きますまい」と周囲が言うなか、彼は「風向きが変われば危うい」と警戒を解かなかった。そしてその風こそが、周瑜の最後の悩みでもあった。病と称して寝込む周瑜のもとを、劉備の軍師・諸葛亮が訪ねる。「都督の病は、東南の風が吹けば治りましょう」。図星を突かれた周瑜は、諸葛亮に風を祈らせることにした。

諸葛亮は南屏山に七星壇を築き、髪を解いて祈った。三日目の夜半、旗がふいに翻る。東南の風である。周瑜は背筋が寒くなった。「天候さえ操る男を生かしておけば、いずれ呉の災いとなる」。だが刺客が壇に着いたとき、諸葛亮の姿はすでになく、趙雲の小舟が彼を迎えて川面を去っていた。魯粛は呆然と立ちつくすほかなかった。

風を得た黄蓋は、油と薪を積んだ二十艘の船で曹操の船団へ向かった。「黄蓋が降ってまいりました」。曹操の兵が歓声を上げた、その刹那。船が一斉に炎を噴き、鎖でつながれた曹操の軍船へ突き込んだ。火は風に乗って陸の陣営まで走り、水も岸も真っ赤に染まる。甘寧ら呉の勇将が斬り込み、劉備の軍も陸から襲いかかった。曹操は煙の中を馬で逃れ、振り返って燃える長江に歯噛みした。天下統一の夢は、この一夜で遠のいたのである。

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