趙雲ちょううん 字・子龍
一身これ胆なり、白馬銀槍の完璧な武人
人物
常山真定の人。はじめ公孫瓚に仕え、劉備と出会ってその人柄に惹かれ、のち正式に麾下に加わった。白馬に跨り銀の槍を振るう姿は美しく、しかも冷静沈着で判断を誤らない。長坂の戦いでは曹操の大軍の中へ単騎で飛び込み、劉備の幼子阿斗を懐に抱いて五十余人の敵将を斬り倒して脱出した。この一戦で「一身これ胆なり」の名を不動のものとする。孫夫人が阿斗を連れて呉へ帰ろうとしたときは船に飛び乗って取り戻し、漢中では黄忠を救って空城の計で曹操軍を追い払った。諸葛亮の第一次北伐では七十歳の老将として先鋒を務め、韓徳父子五人を討ち取る。五虎大将の中で唯一、畳の上で天寿を全うした、完璧な武人である。
名場面
長坂の単騎駆け
曹操軍の追撃で劉備軍が散り散りになったとき、趙雲は劉備の家族を探して敵中へ引き返した。井戸端で阿斗を抱いた糜夫人を見つけるが、糜夫人は足を負傷しており、足手まといを嫌って井戸へ身を投げた。趙雲は阿斗を鎧の内に抱え、曹操の名剣青釭を奪い、何十人もの敵将を斬り伏せて長坂橋まで駆け抜けた。
阿斗を江に取り戻す
劉備が益州へ向かった隙に、孫権は妹の孫夫人を呼び戻し、ついでに阿斗を連れてこさせようとした。船が出たと聞いた趙雲は、小舟一艘で大船に追いつき、ただ一人飛び移る。夫人の怒声に臆せず阿斗を抱き取り、駆けつけた張飛の船とともに夫人を見送った。主君の跡継ぎを二度救った、忠義の極みである。
老いてなお先鋒
第一次北伐のとき、趙雲はすでに七十歳。諸葛亮は老齢を気づかって先鋒を外そうとしたが、趙雲は「老いたりとはいえ槍はまだ鈍っておらぬ」と譲らず、自ら先陣を切った。鳳鳴山で魏の韓徳とその四人の息子を相手に、瞬く間に全員を討ち取る。白髪の猛将に魏軍は震え上がり、「常山の趙子龍、いまだ健在なり」と恐れた。
「子龍の一身はこれ胆なり」(劉備が趙雲を評した言葉と伝わる)
正史ではどうだった?
正史では劉備の側近の護衛隊長として出発し、長坂で阿斗と甘夫人を救ったのは事実。ただし五虎大将の筆頭格という扱いは演義の脚色で、官位は関羽・張飛・馬超・黄忠より低かった。箕谷の退却戦を無事にまとめた堅実さは高く評価されている。