三三国志 英雄図鑑
蜀蜀の五虎大将

馬超ばちょう 字・孟起

曹操に髭を切らせた、西涼の錦馬超

176年〜222年(享年46)#五虎大将#西涼#錦馬超#復讐
統率武力知力政治魅力8897442680

人物

扶風茂陵の人。西涼の雄・馬騰の長子で、獅子の兜に銀の鎧、白い袍をまとう姿から「錦馬超」と呼ばれた。父と弟たちが曹操に殺されると、韓遂と組んで西涼の精鋭を率いて挙兵し、潼関で曹操を追い詰める。曹操が髭を切り袍を脱ぎ捨てて逃げ惑った話は名高い。許褚と裸の一騎打ちを演じたが、賈詡の離間の計で韓遂と仲違いし、敗れて漢中の張魯を頼った。その後、葭萌関で張飛と昼夜に及ぶ死闘を繰り広げ、互いに力尽きるまで決着がつかなかった。諸葛亮の策で劉備に帰順すると、その威名だけで劉璋を降伏させる。五虎大将の一人に列せられたが、一族をことごとく失った悲しみは深く、若くして病に倒れた。

名場面

1

潼関、曹操を追う

父の仇を討つべく潼関に攻め寄せた馬超は、曹操軍を打ち破り、本陣まで切り込んだ。「紅い袍の者が曹操だ」と叫ぶと曹操は袍を捨て、「長い髭の者が曹操だ」と叫ぶと髭を切り、「短い髭が曹操だ」と叫ぶと旗で顔を隠した。曹洪が身を挺して防がなければ、ここで三国志は終わっていたかもしれない。

2

許褚との一騎打ち

曹操の側近・許褚が馬超に挑み、二人は百合以上を渡り合っても決着がつかない。苛立った許褚は陣に戻って鎧を脱ぎ捨て、上半身裸で再び飛び出した。馬超の槍が許褚の腕をかすめ、許褚は馬超の槍を奪って折るほどの乱戦。両軍が総出で乱れ、両雄は互いに相手の強さを認めざるを得なかった。

3

葭萌関、張飛と夜戦

張魯の命で葭萌関を攻めた馬超の前に、張飛が立ちはだかった。昼に百合、日が暮れてもなお決着はつかず、両軍は松明を掲げて夜戦を続けさせた。矛を槍で受け、槍を矛で払い、ついに馬を替えて三度目の勝負。劉備が「これほどの者を殺すのは惜しい」と兵を引かせた。のちに肩を並べる戦友となる二人の出会いだった。

「わが一族二百余人、曹賊に殺された。この恨み、天地に満ちてなお余りある」

馬超

正史ではどうだった?

正史では父の馬騰が殺される前に馬超が挙兵しており、むしろ馬超の反乱が父の処刑を招いた。涼州で曹操軍を苦しめたのは事実だが、曹操が髭を切った逸話は創作。劉備のもとでは警戒され、重用されたとは言いがたい。四十七歳で没した。