三三国志 英雄図鑑
年表

三国志 年表

168年から280年まで。色は主役の勢力。出来事から、その章へ飛べる。

  1. 168年

    霊帝が即位する

    わずか十二歳の劉宏が後漢の皇帝となる。実権は外戚と宦官が握り、朝廷の腐敗が進んでいく。乱世の芽はここに生まれた。

  2. 175年

    曹操、洛陽北部尉として出仕

    二十歳の曹操が都の警察長官格に任官。権力者の縁者であろうと法を破れば棒で打ち殺し、その厳格さで早くも名を知られる。

  3. 184年

    黄巾の乱が起こる

    太平道の教祖・張角が「蒼天已に死す、黄天当に立つべし」を合言葉に蜂起。黄色い頭巾の信徒数十万が各地で官軍と戦い、天下は大乱に陥る。

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  4. 184年

    桃園の誓い

    涿県で義勇兵の募集を見た劉備が、関羽・張飛と出会う。三人は桃の花咲く庭で義兄弟の契りを結び、黄巾討伐の戦いに身を投じる。

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  5. 184年

    張角が病死し、黄巾の主力が崩れる

    教祖の張角が病で世を去り、弟の張宝・張梁も官軍に討たれる。黄巾の本隊は年内にほぼ壊滅したが、残党は各地で長く暴れ続けた。

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  6. 189年

    霊帝が崩御し、少帝が即位

    霊帝が三十四歳で没し、何皇后の子・劉弁が少帝として即位する。外戚の何進と宦官の十常侍が、幼帝を挟んで権力争いを激化させる。

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  7. 189年

    何進が暗殺され、十常侍が滅ぶ

    宦官の一掃を図った大将軍・何進が逆に宮中で殺される。袁紹らが兵を率いて宮殿に突入し、宦官を皆殺しにして、都は大混乱に陥った。

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  8. 189年

    董卓が洛陽に入り、献帝を立てる

    何進に呼ばれて上洛していた董卓が、混乱に乗じて都を制圧。少帝を廃して陳留王の劉協(献帝)を即位させ、自らは相国として専横を極める。

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  9. 190年

    反董卓連合が結成される

    曹操の檄に応じて袁紹を盟主とする諸侯の連合軍が結成される。袁術・孫堅・公孫瓚らが集い、董卓討伐の旗が各地に翻った。

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  10. 190年

    汜水関・虎牢関の戦い

    演義では関羽が温めた酒が冷めぬ間に華雄を斬り、虎牢関では劉備・関羽・張飛の三人が呂布と激闘を演じる。三兄弟の名が天下に響いた。

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  11. 190年

    董卓、洛陽を焼いて長安へ遷都

    連合軍の勢いに押された董卓は、洛陽の都を焼き払い、献帝と百万の民を無理やり長安へ移す。壮麗な都は焦土と化した。

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  12. 191年

    孫堅が伝国の玉璽を手に入れる

    演義では、焼け落ちた洛陽の井戸から孫堅が皇帝の印・伝国の玉璽を発見する。これを隠して帰国したことが、袁紹らとの対立を生む。

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  13. 191年

    孫堅、襄陽で戦死

    袁術の命で劉表を攻めた孫堅が、峴山で黄祖の伏兵に討たれる。江東の虎の早すぎる死は、息子の孫策に大きな試練を残した。

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  14. 192年

    連環の計、董卓が誅殺される

    司徒の王允が養女・貂蝉を使って董卓と呂布の仲を裂き、呂布の手で董卓を討たせる。暴君の死に長安の人々は歓喜したと伝わる。

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  15. 192年

    李傕・郭汜が長安を占拠

    董卓の旧臣である李傕と郭汜が賈詡の献策で反撃し、長安を制圧。王允は殺され、呂布は逃亡し、献帝は再び軍閥の手に落ちた。

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  16. 192年

    曹操、青州黄巾を降して青州兵を得る

    兗州に入った曹操が百万といわれる青州の黄巾残党を降伏させ、精鋭を選んで青州兵と名付ける。これが曹操軍の中核となった。

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  17. 193年

    曹操が徐州の陶謙を攻める

    父の曹嵩が徐州で殺されたことに怒った曹操が、報復として徐州へ侵攻する。各地で民が虐殺され、曹操の非情さを示す事件となった。

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  18. 194年

    呂布が兗州を奪い、濮陽の戦い

    曹操の留守中に陳宮が呂布を迎え入れ、兗州の大半が離反。曹操は濮陽で呂布と激戦を繰り広げ、演義では火攻めで命からがら逃れる。

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  19. 194年

    劉備が徐州を譲り受ける

    病床の陶謙が「徐州を治められるのは劉備しかいない」と州を託す。流浪の劉備が初めて一州の主となった瞬間である。

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  20. 195年

    献帝、長安を脱出する

    李傕と郭汜が仲間割れして長安で戦乱となり、献帝は側近とともに命からがら都を脱出。飢えに苦しみながら東の洛陽を目指す。

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  21. 195年

    孫策が江東平定を始める

    袁術から父の旧兵を借り受けた孫策が長江を渡り、劉繇を破る。周瑜や太史慈を得て、わずか数年で江東を制した。

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  22. 196年

    曹操が献帝を許に迎える

    荀彧の進言を容れた曹操が、荒れ果てた洛陽の献帝を保護し、本拠の許に迎える。天子を奉じて諸侯に号令する体制ができあがった。

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  23. 196年

    屯田制の開始

    棗祗・韓浩の献策で、曹操が許の周辺に屯田を始める。流民に土地と農具を与えて耕させ、初年度から大量の穀物を得て兵糧問題を解決した。

  24. 196年

    呂布が劉備から徐州を奪う

    劉備が袁術と戦っている隙に、客分だった呂布が本拠の下邳を奪取。立場が逆転し、劉備は呂布の下で小沛に身を寄せることになる。

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  25. 197年

    宛城の戦い、典韋が戦死

    一度降伏した張繡が賈詡の計で夜襲をかける。曹操は長男の曹昂と甥の曹安民を失い、護衛の典韋は門を守って壮絶な最期を遂げた。

  26. 197年

    袁術が皇帝を称する

    伝国の玉璽を手にした袁術が寿春で帝位につき、国号を仲とする。しかし諸侯の総反発を招き、わずか二年で破滅へ向かった。

  27. 198年

    下邳の戦い、呂布の最期

    曹操と劉備の連合軍に包囲された呂布は、水攻めと部下の裏切りで捕らえられる。命乞いするも劉備の一言で斬られ、陳宮も従容と死についた。

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  28. 199年

    袁術が病死する

    諸侯に見放され兵糧も尽きた袁術は、袁紹を頼る途中で劉備軍に阻まれ、蜂蜜入りの水を求めて得られぬまま血を吐いて死んだと伝わる。

  29. 199年

    許田の巻狩りと衣帯の詔

    曹操が献帝の弓矢で鹿を射て、万歳の声を自らが受ける。屈辱に震えた献帝は、帯に縫い込んだ密詔を董承に与え、曹操打倒を命じた。

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  30. 200年

    董承らが誅殺され、劉備は袁紹を頼る

    衣帯の詔の陰謀が露見し、董承らは一族もろとも処刑される。徐州で挙兵した劉備も曹操に敗れ、関羽は曹操に降り、劉備は袁紹のもとへ逃れた。

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  31. 200年

    白馬の戦い、関羽が顔良を斬る

    曹操に客将として仕えていた関羽が、単騎で袁紹軍に突入し、猛将の顔良を一刀のもとに斬る。演義では続けて文醜も討ち取る。

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  32. 200年

    官渡の戦い

    十万を超える袁紹軍に対し、兵糧に窮した曹操が、許攸の情報をもとに烏巣の兵糧庫を焼き討ち。袁紹軍は総崩れとなり、天下の形勢が決した。

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  33. 200年

    関羽千里行、五関六将を斬る

    劉備の居場所を知った関羽は、曹操の厚遇を辞して二人の夫人を護りながら旅立つ。演義では五つの関所で六人の将を斬り、古城で張飛と再会する。

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  34. 200年

    孫策が急死し、孫権が跡を継ぐ

    江東を平定した孫策が狩りの最中に刺客に襲われ、二十六歳で死去。弟の孫権が十九歳で跡を継ぎ、張昭と周瑜が支えた。

  35. 202年

    袁紹が病死する

    官渡の敗北から立ち直れぬまま袁紹が没する。後継を三男の袁尚と定めたため、長男の袁譚との兄弟争いが始まり、袁家は内側から崩れた。

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  36. 207年

    曹操が烏丸を討ち、河北を統一

    袁尚らをかくまう烏丸を白狼山で破り、袁兄弟は遼東で殺される。河北は曹操のものとなったが、遠征の帰途に軍師の郭嘉が病没した。

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  37. 207年

    三顧の礼

    新野にいた劉備が徐庶の推薦を受け、隆中の草庵に諸葛亮を三度訪ねる。二十七歳の青年軍師は天下三分の計を説き、劉備に仕えることを決めた。

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  38. 208年

    劉表が死去し、荊州が曹操に降る

    荊州の劉表が病死し、跡を継いだ幼い劉琮は家臣の勧めで曹操に無血降伏。劉備は十数万の民を連れて南へ逃れることになった。

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  39. 208年

    長坂の戦い

    曹操の追撃を受けた劉備軍は長坂で壊滅状態となる。趙雲は単騎で敵中を駆けて阿斗を救い、張飛は長坂橋で一喝して追っ手を退けた。

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  40. 208年

    諸葛亮が呉に赴き、孫劉同盟が成る

    諸葛亮は魯粛とともに呉へ渡り、降伏論の張昭らを論破し、孫権に抗戦を決意させる。周瑜も戦いを主張し、ここに孫劉同盟が結ばれた。

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  41. 208年

    赤壁の戦い

    周瑜率いる呉軍が、黄蓋の偽りの降伏と火攻めで曹操の大船団を焼き払う。演義では諸葛亮が東南の風を祈り、曹操は華容道で関羽に見逃される。

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  42. 210年

    周瑜が病死する

    益州攻略を計画していた周瑜が、巴丘で三十六歳の若さで病没。演義では諸葛亮との知恵比べに敗れ「既に瑜を生みて何ぞ亮を生めり」と嘆く。

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  43. 211年

    潼関の戦い、馬超の怒り

    関中の馬超と韓遂が曹操に反旗を翻す。演義では父・馬騰を殺された馬超が髭を切らせるほど曹操を追い詰めるが、賈詡の離間の計で敗れた。

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  44. 211年

    劉備が益州に入る

    張魯の脅威に悩む劉璋が劉備を招く。法正や張松の内応を得た劉備は、龐統を伴って蜀の地へ入り、やがて主君の座を狙うことになる。

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  45. 214年

    龐統が戦死し、劉備が成都を得る

    劉璋と戦端を開いた劉備軍だが、軍師の龐統が雒城攻めで矢に倒れる。諸葛亮・張飛・趙雲が蜀入りして成都を囲み、劉璋は降伏した。

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  46. 215年

    合肥の戦い、張遼の奮戦

    孫権が十万の大軍で合肥を攻めるが、張遼は八百の兵で奇襲をかけて呉軍を圧倒。逍遥津で孫権を追い詰め、江東の子どもが泣きやむほど恐れられた。

  47. 215年

    曹操が漢中の張魯を降す

    五斗米道の教主・張魯が支配する漢中に曹操が侵攻し、張魯は降伏。蜀の北の玄関口が曹操の手に落ち、劉備は大きな脅威を抱えた。

  48. 219年

    定軍山の戦い、黄忠が夏侯淵を斬る

    法正の策で高地を取った劉備軍が、老将の黄忠を先頭に駆け下り、魏の総大将・夏侯淵を討ち取る。漢中争奪の趨勢が決まった。

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  49. 219年

    劉備が漢中王となる

    曹操が漢中から撤退し、劉備は群臣に推されて漢中王を称する。関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠が五虎大将軍に任じられたのは演義の設定だ。

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  50. 219年

    樊城の戦い、関羽の水攻め

    荊州から北上した関羽が樊城を包囲し、長雨を利して于禁の七軍を水没させる。于禁は降伏、龐徳は斬られ、関羽の威名は中原を震わせた。

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  51. 219年

    呂蒙が荊州を奪い、関羽が最期を迎える

    呉の呂蒙が商人に化けた兵で荊州を無血占領。退路を断たれた関羽は麦城に追い詰められ、息子の関平とともに捕らえられ処刑された。

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  52. 220年

    曹操が洛陽で死去する

    乱世の奸雄・曹操が六十六歳で生涯を閉じる。演義では関羽の首を見て病が重くなり、華佗を殺したことを悔やみながら息を引き取る。

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  53. 220年

    曹丕が禅譲を受け、魏を建国

    曹操の跡を継いだ曹丕が献帝に帝位を譲らせ、魏の初代皇帝となる。四百年続いた漢王朝はここに幕を閉じた。

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  54. 220年

    九品官人法が定められる

    陳羣の献策で、人物を九等級に評価して官職に就ける制度が始まる。後に名門の子弟が上位を独占し、貴族社会を生む土台となった。

  55. 221年

    劉備が皇帝に即位し、蜀漢が成立

    漢の滅亡を受けて、劉備は成都で皇帝を称し、漢の正統を継ぐと宣言する。諸葛亮を丞相とし、国号は漢、後世は蜀漢と呼ぶ。

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  56. 221年

    張飛が部下に暗殺される

    関羽の仇討ちに燃える張飛が、部下を厳しく打ち続けたため、范彊と張達に寝込みを襲われて殺される。首は呉へ持ち去られた。

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  57. 222年

    夷陵の戦い

    関羽の仇を討つため劉備が大軍で呉へ侵攻。しかし若き陸遜が持久戦の末に火攻めを放ち、蜀軍は七百里の陣を焼かれて大敗した。

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  58. 222年

    孫権が呉王となる

    蜀と戦うため一時的に魏に臣従していた孫権が、曹丕から呉王に封じられる。その後は魏とも断交し、独自の年号を立てて自立する。

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  59. 223年

    劉備が白帝城で死去する

    夷陵の敗戦後、白帝城で病に伏した劉備は諸葛亮を呼び、「劉禅に才がなければ君が取れ」と後事を託して六十三歳で没した。

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  60. 225年

    諸葛亮の南征、七縦七擒

    南中の反乱を鎮めるため諸葛亮が自ら出陣。演義では南蛮王の孟獲を七度捕らえて七度放ち、心から服従させる。

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  61. 227年

    出師の表、第一次北伐へ

    諸葛亮が劉禅に名文「出師の表」を奉り、漢中へ進駐して魏討伐の準備を整える。翌年、祁山へ向けて大軍を進めた。

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  62. 228年

    街亭の戦い、泣いて馬謖を斬る

    要地の街亭を任された馬謖が指示に背いて山上に布陣し、張郃に水を断たれ大敗。諸葛亮は撤退し、軍令通り涙ながらに馬謖を処刑した。

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  63. 229年

    孫権が皇帝に即位する

    孫権が武昌で帝位につき、国号を呉とする。これで魏・蜀・呉の三人の皇帝が並び立ち、文字通りの三国時代が完成した。

  64. 231年

    第四次北伐、祁山で司馬懿と対峙

    諸葛亮は木牛を用いて兵糧を運び祁山へ出陣。司馬懿と対陣し、張郃を木門道で射殺すが、李厳の兵糧輸送の失敗で撤退を余儀なくされた。

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  65. 234年

    五丈原に星落つ

    第五次北伐で五丈原に陣を構えた諸葛亮は、持久策を取る司馬懿と百日余り対峙し、陣中で病没する。五十四歳。蜀軍は整然と撤退した。

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  66. 239年

    曹叡が死去し、幼い曹芳が即位

    魏の二代皇帝・曹叡が三十代半ばで没し、八歳の曹芳が帝位を継ぐ。曹爽と司馬懿が補佐役となるが、二人の対立が魏を揺るがす。

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  67. 249年

    高平陵の変

    病を装っていた司馬懿が、曹爽が皇帝の墓参に出た隙に洛陽でクーデターを起こす。曹爽一派は処刑され、魏の実権は司馬一族のものとなった。

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  68. 251年

    司馬懿が死去する

    魏の実権を握った司馬懿が七十三歳で没し、長男の司馬師、次いで次男の司馬昭が権力を継ぐ。魏の帝室は名ばかりの存在となっていく。

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  69. 252年

    孫権が死去する

    呉の初代皇帝・孫権が七十一歳で没する。晩年は後継者争いで国を乱したため、幼い孫亮が継いだ呉は重臣同士の抗争に苦しむ。

  70. 253年

    費禕が暗殺される

    蜀の国政を担った費禕が、宴席で魏からの降将に刺殺される。北伐に慎重だった費禕の死で、姜維の大規模な北伐に歯止めがなくなった。

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  71. 260年

    魏の皇帝・曹髦が殺される

    司馬昭の専横に耐えかねた曹髦が自ら兵を率いて討とうとするが、司馬昭の部下に殺害される。「司馬昭の心は路傍の人も知る」の言葉が残る。

  72. 263年

    蜀が滅亡する

    鍾会が剣閣で姜維を釘付けにする間に、鄧艾が険しい陰平の山道を越えて成都へ迫る。劉禅は降伏し、四十三年で蜀漢は滅びた。

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  73. 264年

    鍾会の乱、姜維の最期

    鄧艾を讒言で失脚させた鍾会が、姜維と組んで成都で独立を図る。しかし兵が反乱し、鍾会も姜維も殺された。蜀再興の夢はついえた。

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  74. 265年

    司馬炎が晋を建国する

    司馬昭の子・司馬炎が魏の元帝から禅譲を受け、晋の初代皇帝・武帝となる。曹丕が漢を奪ったのと同じ手法で、魏は四十五年で終わった。

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  75. 280年

    呉が滅び、晋が天下を統一

    暴君・孫皓のもとで衰えた呉に、晋の大軍が長江を下って迫る。孫皓は降伏し、黄巾の乱から約百年続いた分裂の時代がようやく終わった。

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