第27章五丈原に星落つ
五丈原で司馬懿と対峙する諸葛亮。病に倒れ、星は落ちた。死せる孔明、生ける仲達を走らす。
建興十二年、諸葛亮は十万の軍を率いて斜谷を越え、渭水の南・五丈原に陣を張った。呉の孫権にも同時に魏を攻めさせる約束であった。司馬懿は渭水を背に陣を固め、やはり動かない。諸葛亮は長期戦を覚悟し、兵に田を耕させて現地で兵糧を作らせた。今度こそ帰らぬ、という覚悟である。
司馬懿を引き出すため、諸葛亮は女物の頭巾と衣を箱に入れて送った。「戦わぬなら、女人の衣をまとって引きこもるがよい」。魏の諸将は怒りに震えたが、司馬懿は笑って衣を受け取り、使者に尋ねた。「丞相の起居はいかがか」。「朝早くから夜遅くまで働かれ、二十以上の罰はすべて自ら目を通し、食はわずかです」。司馬懿はうなずいた。「食少なく事多し。長くはあるまい」。
果たして諸葛亮は病に倒れた。夜、帳の外に出て星を仰ぐと、自分の星が光を失っている。諸葛亮は七日の祈祷で寿命を延ばそうとし、帳の中に七つの灯をともした。六日目の夜、魏軍の襲来を告げに魏延が駆け込み、裾で主灯を踏み消してしまう。「死生は命なり。祈って変えられるものではない」。諸葛亮は剣を捨てた。
死期を悟った諸葛亮は、姜維に自らの兵法書を授け、後事を細かく定めた。成都からの使者に後継者を問われると「蒋琬」、その次は「費禕」と答え、さらにその次を問われると、もう答えはなかった。魏延については「必ず背く」と見抜き、馬岱に密かに策を授けた。そして八月、秋風の吹く五丈原で、諸葛亮は五十四歳の生涯を閉じた。
蜀軍は喪を伏せて撤退を始めた。司馬懿は天文を見て「諸葛亮が死んだ」と確信し、追撃する。だが退く蜀軍は突如として旗を翻し、四輪車に乗った羽扇の諸葛亮が姿を現した。「生きていたのか」。司馬懿は馬首を返して逃げ、五十里を走ってようやく「わしの首はついているか」と尋ねたという。木像であった。死せる孔明、生ける仲達を走らす。司馬懿は苦笑した。「生者のことは読めても、死者のことは読めぬわ」。
諸葛亮の予言どおり、魏延は撤退に背いて桟道を焼き、兵を率いて立ちはだかった。「わしを斬れる者がおるか」と叫ぶと、背後から馬岱が「ここにおる」と一刀で斬り捨てた。諸葛亮の残した最後の策であった。成都の劉禅は丞相の死に泣き崩れ、遺体は遺言どおり漢中の定軍山に葬られた。星は落ちたが、その光は千七百年を経てなお、人々の胸を照らしている。