三三国志 英雄図鑑
第4部 諸葛亮の北伐・228〜233年

第26章北伐の日々:司馬懿との知略戦

陳倉、祁山、木門道。諸葛亮は北伐を重ねて司馬懿と知略を競う。張郃が倒れ、李厳の嘘が丞相を呼び戻す。

舞台:陳倉・祁山・木門道・漢中

街亭の敗北から半年、諸葛亮は再び軍を起こした。狙うは陳倉の城。だが守将の郝昭は三千の兵で城を固め、雲梯も井闌も坑道も、ことごとく跳ね返した。二十日余りで兵糧が尽き、諸葛亮は退く。追ってきた魏の王双を猛将・魏延が討ち取ったが、得たものは少なかった。この北伐の前後、老将・趙雲が病で没する。「子龍を失い、わしは腕を一本もがれた」。諸葛亮は長く嘆いた。

翌年、三度目の北伐では武都と陰平の二郡を奪い、諸葛亮は丞相の位に戻った。魏の大将軍・曹真は面目を失い、一転して自ら大軍で漢中へ攻め込もうとしたが、秋の長雨に道を阻まれて撤退。諸葛亮の嘲りの手紙で病が悪化し、曹真は世を去った。以後、魏の全軍を指揮するのは司馬懿となる。

建興九年、第四次北伐。諸葛亮は「木牛流馬」と呼ばれる運搬の仕掛けで兵糧を運び、姜維らを率いて祁山に陣を張った。司馬懿は堅く守って動かない。「諸葛亮は遠征軍。兵糧が尽きれば帰るほかない」。持久戦こそ司馬懿の策であった。魏の将兵は臆病者と司馬懿を嘲ったが、彼は耐えた。たまりかねて一度だけ出撃した魏軍は、諸葛亮の伏兵に大敗した。

そこへ成都から撤退の命令が届いた。兵糧輸送を任されていた李厳が、雨で運搬が滞ったのを隠し、「皇帝が呼び戻しておられます」と偽ったのである。諸葛亮はやむなく退いた。退く蜀軍を、司馬懿は張郃に追撃させる。張郃は街亭以来、蜀にとって最も厄介な魏の名将であった。「深追いは危険です」。張郃はためらったが、司馬懿は命令を変えなかった。木門道の細い谷に入った瞬間、両側の崖から弩の矢が降り注ぎ、張郃は右膝を射抜かれて倒れた。

諸葛亮が成都に戻ると、李厳の偽りが露見した。李厳は劉備が白帝城で諸葛亮とともに後事を託した重臣である。諸葛亮は彼を庶民に落としたが、その子は引き続き用いた。公正な処分に李厳は恨みを持たず、後に諸葛亮の訃報を聞くと「自分を再び用いてくれる人はもういない」と泣いて病死したという。諸葛亮は三年をかけて兵糧を蓄え、軍を整えた。次こそは、と。五丈原への最後の出陣が近づいていた。

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