李厳りげん 字・正方
孔明と並んで託されながら、嘘で身を滅ぼした
人物
南陽の人。はじめ劉表、ついで劉璋に仕え、綿竹を守っていたが、劉備の入蜀軍が迫ると一戦して黄忠と互角に渡り合い、諸葛亮の策で降った。劉備は彼の才幹を高く買い、法正らとともに蜀の法律「蜀科」の制定に当たらせ、犍為太守として反乱を鎮圧した功もある。二二三年、白帝城で劉備は諸葛亮とともに李厳を呼び、後事を託す。諸葛亮に次ぐ地位となり、永安に駐屯して呉に備えた。しかし北伐で兵糧輸送を任されると、長雨で輸送が滞ったことを隠そうと、諸葛亮に「兵糧が尽きた、退却せよ」と偽りの報告を送り、一方で劉禅には「兵糧は充分なのに丞相が退いた」と上奏した。諸葛亮は往復の書簡を並べて虚偽を暴き、李厳を庶民に落とした。それでも李厳は諸葛亮の復帰を待ち望み、その死を聞くと「もう自分を用いる者はいない」と嘆いて病没した。
名場面
黄忠と互角
劉備軍が綿竹に迫ったとき、李厳は自ら出陣して黄忠と四、五十合を渡り合い、勝負がつかなかった。諸葛亮は黄忠にわざと負けて退かせ、李厳を伏兵の山間に誘い込んで包囲する。進退窮まった李厳は降り、諸葛亮が「将軍を殺すのは惜しい」と礼遇すると、城に戻って費観を説き、綿竹を開城させた。武人としての腕も確かだったのだ。
白帝城の二人目
劉備は死の床で諸葛亮に「わが子を頼む」と告げたあと、李厳を呼び寄せた。「卿は丞相とともに幼主を補佐せよ」。諸葛亮が内政と軍事、李厳が東の守り。二人を並べて託したのは、権力を一人に集めない劉備の配慮だった。だがこの対等の立場が、やがて李厳の野心と焦りを生むことになる。
偽りの兵糧報告
第四次北伐、諸葛亮が祁山で司馬懿を押していたとき、兵糧輸送を担う李厳からの使いが届いた。「長雨で兵糧が続かず、呉が動く気配もある。急ぎ退かれたし」。諸葛亮はやむなく退却したが、成都に戻ると李厳が劉禅に「兵糧は充分、丞相がなぜ退いたか分からない」と報告していると知る。諸葛亮は李厳の書簡を全て並べ、嘘を暴いて庶民に落とした。
「丞相が再び用いてくれる日を、ただ待っていたのだ」(諸葛亮の死を聞いた李厳の嘆きとして伝わる)
正史ではどうだった?
正史の李厳も白帝城で諸葛亮とともに後事を託され、兵糧輸送の虚偽で失脚した点は同じ。ただし黄忠との一騎打ちは演義の脚色。諸葛亮に「九錫を受けよ」と勧めたり、自身の領土を要求したりと、権勢への欲が強かったことも正史に記される。諸葛亮の死を聞いて失望のうちに病死した。