劉璋りゅうしょう 字・季玉
人を疑えず、劉備に益州を明け渡した温厚な暗君
人物
益州の牧劉焉の子で、父の後を継いで天府の国と呼ばれる豊かな益州を治めた人物である。気性は温厚で人を疑うことを知らなかったが、裏を返せば決断力がなく、部下をまとめる力に欠けていた。漢中の張魯と対立し、曹操が漢中を狙っていると聞いて怯えたところへ、張松と法正が「同族の劉備を招いて守らせよう」と献策する。黄権や王累が命がけで諌めたが、劉璋は劉備を招き入れた。涪で劉備と会見して歓待し、兵と物資を与えて葭萌関に置いたが、やがて張松の内通が露見して劉備と決裂する。劉備軍が雒城を落として成都に迫ると、劉璋は「わが父子が益州にいて二十余年、民に恩を施せなかった。これ以上民を苦しめたくない」と言って城を開いた。劉備は彼を公安に移し、後に孫権が荊州を奪った際には再び益州牧の名を与えられたが、ほどなく病死した。
名場面
王累の諫死
劉備を迎えると決めた劉璋に、従事の王累は最後の手段に出た。自らを城門の上から縄で逆さに吊るし、片手に諌めの書、片手に剣を持って、「劉備を入れれば益州は滅びます。聞き入れられぬなら縄を切って死にます」と叫んだ。劉璋が受け取りを拒むと、王累は本当に縄を切り、地に落ちて死んだ。それでも劉璋は心を変えなかった。忠臣の命をもってしても動かぬ、鈍い決断であった。
成都開城
雒城が落ち、馬超までが劉備に降って成都の城下に現れると、城内の人々は震え上がった。劉璋は「まだ三万の兵と一年分の兵糧がある」と言う部下の声を聞きながら、首を横に振った。「わたしは民に恩を施せなかった。これ以上、民に戦の苦しみを与える気はない」。劉璋は印綬を携えて城を出て劉備に降った。劉備は劉璋の手を取って涙を流したという。暗君と呼ばれた男の、最後の優しさである。
「これ以上、民に戦の苦しみを与える気はない」
正史ではどうだった?
正史でも温厚で決断力に欠け、張松と法正の進言で劉備を招いて国を奪われた流れは同じである。民を思って降伏を決めた言葉も正史に記されている。劉備に公安に移された後、孫権によって益州牧に任じられ、ほどなく病死した。劉璋の子は劉備と孫権の双方に仕えている。