三三国志 英雄図鑑
蜀蜀の尚書令

法正ほうせい 字・孝直

劉備が最も信頼した、恩讐の策士

176年〜220年(享年44)#軍師#入蜀#定軍山#恩讐
統率武力知力政治魅力7040948260

人物

扶風郿県の人。はじめ劉璋に仕えたが重く用いられず、張松・孟達と図って劉備を益州に引き入れる計画を立てた。劉備が入蜀すると軍師として作戦の中枢を担い、劉璋を降して益州を取ると、劉備の信頼は諸葛亮に次ぐものとなった。漢中攻略では自ら軍を主導し、定軍山では黄忠に山頂を占拠させ、旗の合図で一気に駆け下りて夏侯淵を討ち取らせた。曹操は「劉備にこれほどの策が出せるはずがない、誰かが教えている」と悔しがったという。恩も怨みも必ず返す激しい気性で、昔の仇を勝手に処刑して問題になったが、劉備は咎めなかった。漢中王となった劉備の尚書令となるも、翌年四十五歳で病死。のちに夷陵の敗戦を聞いた諸葛亮は「法孝直が生きていれば主を止められたのに」と嘆いた。

名場面

1

劉備を蜀に招く

劉璋が漢中の張魯を恐れて劉備に援軍を頼もうとしたとき、使者に選ばれたのが法正だった。だが法正は劉璋を見限っており、劉備に会うと「益州は豊かで、劉璋は暗愚。いま取らねば他の者に取られる」と密かに進言した。劉備は最初ためらったが、龐統も賛同し、ついに入蜀の決断を下す。天下三分の後半が、この密談から動き出した。

2

定軍山の旗

定軍山の対陣で、法正は黄忠に「山頂を取り、私の合図を待て」と告げた。白旗を振る間は動かず、夏侯淵の兵が疲れて兜を脱いだ瞬間、赤旗を振る。黄忠の騎馬隊が雪崩のように駆け下り、夏侯淵は首を取られた。曹操はこの報せに「これは法正の策だ」と唸ったという。時を読む策士の真骨頂である。

3

主君の身代わり

漢中で曹操軍と矢の応酬が激しくなったとき、劉備は前線から退こうとしなかった。法正は何も言わず、矢の飛び交う中を劉備の前に進み出て盾になった。驚いた劉備が「孝直、危ない、下がれ」と叫ぶと、法正は「主君が危うい場所に、臣が下がれましょうか」と答える。劉備は苦笑して、ともに退いた。

「法孝直が在れば、主上を東征に行かせはしなかったろう」(諸葛亮が法正を悼んだ言葉)

法正

正史ではどうだった?

正史における法正の存在感は演義以上で、劉備が最も信頼した軍師と評される。定軍山の策と漢中攻略の主導は事実。性格が激しく私怨で人を殺したことも記録にあり、諸葛亮は「法正を止められるのは主君だけだ」と黙認した。夷陵のとき諸葛亮が法正を惜しんだ話も正史による。