第20章定軍山と漢中王
黄忠が定軍山で夏侯淵を討ち、趙雲は漢水で一身これ胆。曹操は漢中を捨て、劉備は漢中王となる。
益州を得た劉備にとって、北の漢中は喉元に突きつけられた刃であった。漢中を押さえていたのは曹操。守将は曹操の従弟・夏侯淵、猛進を好む勇将である。参謀・法正は進言した。「漢中を取れば北は長安を窺え、守れば益州は安泰。今こそ好機」。建安二十二年、劉備は大軍を率いて漢中へ向かった。
先鋒を志願したのは、老将・黄忠であった。すでに七十に近いが、強弓を引き、刀を振るえば若者をしのぐ。諸葛亮はわざと「老いた将軍には荷が重かろう」と挑発し、黄忠の闘志に火をつけた。「わしの刀が鈍ったか、見ておれ」。黄忠は法正を軍師に、同じ老将の厳顔を副将として定軍山へ進んだ。
定軍山に陣取る夏侯淵に対し、法正は向かいの高地を占めるよう勧めた。高みから見下ろせば、夏侯淵の動きが手に取るようにわかる。夏侯淵は何度も挑発したが黄忠は動かない。やがて魏の兵が疲れて昼寝を始めたとき、法正は赤い旗を振った。「今だ」。黄忠は太鼓を打ち鳴らし、山を駆け下る。雷のような喊声に夏侯淵は鎧をつける間もなく、黄忠の一刀に斬り伏せられた。曹操は従弟の死に涙し、自ら大軍を率いて漢中へ来た。
曹操軍の兵糧を焼こうとした黄忠が囲まれると、趙雲が単騎で助けに駆けた。追ってくる曹操軍に対し、趙雲は自陣の門を開け放ち、旗を伏せ、太鼓を止める。空の陣を見た曹操軍は伏兵を疑い、踏み込めなかった。そこへ趙雲の弩が一斉に放たれ、曹操軍は漢水へ追い落とされる。翌日、劉備は戦場を眺めて言った。「子龍は一身これ胆なり」。全身が肝っ玉でできている、という最大級の賛辞である。
戦は長引き、曹操は夜の陣で鶏の煮物をつつきながら「鶏肋、鶏肋」と呟いた。鶏の肋骨は捨てるには惜しいが、食べる身もない。側近の楊修はこれを聞いて「殿は漢中を捨てるおつもりだ」と撤退の支度を始め、軍を乱したとして処刑された。だが結局、曹操は漢中を捨てて退いた。建安二十四年、劉備は群臣に推されて漢中王の位に就き、関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠を五虎大将に任じた。桃園の誓いから三十五年、流浪の英雄は王となった。だが漢中の守りに張飛ではなく魏延が選ばれ、諸将が驚いたように、新たな火種もまた生まれていた。