三三国志 英雄図鑑
蜀蜀の軍師中郎将

龐統ほうとう 字・士元

臥龍と並び称された、早逝の鳳雛

179年〜214年(享年35)#軍師#鳳雛#連環の計#落鳳坡
統率武力知力政治魅力7834978570

人物

襄陽の人。司馬徽から「鳳雛」と呼ばれ、「臥龍と鳳雛、一人を得れば天下を取れる」と並び称された。容貌は醜く、眉は太く鼻は上を向き、そのせいで孫権には用いられなかった。赤壁の戦いでは曹操の陣に乗り込み、船を鎖でつなぐ連環の計を授けて火攻めの下地を作る。劉備のもとへ来たときも風采で軽んじられ、耒陽の県令に回されたが、百日分の訴訟を半日で片づけて張飛を驚かせ、ようやく軍師中郎将に取り立てられた。入蜀では劉備に劉璋を討つ上中下三策を献じ、進軍を主導する。しかし落鳳坡で劉備の白馬に乗っていたために敵の矢を集中して浴び、三十六歳で命を落とした。臥龍と並んで天下を取るはずだった鳳雛の、あまりに早い退場である。

名場面

1

連環の計

船酔いに悩む曹操軍の陣へ、龐統は蒋幹に連れられて乗り込んだ。「船を鎖でつなぎ、板を渡せば平地のように安定し、兵も馬も酔わぬ」と進言する。曹操は喜んで採用したが、これこそ火攻めで一網打尽にするための罠だった。帰り際に徐庶だけがこの策を見抜き、龐統は彼に戦場を離れる術を授けた。

2

耒陽の百日の訴え

劉備は醜い龐統を軽んじ、小さな県の令に任じた。龐統は毎日酒を飲んで政務を顧みない。怒った張飛が乗り込むと、龐統は「百日分の訴訟など半日で済む」と言い、次々に書類を裁いて昼までに全部片づけた。しかも判決はどれも的確だった。張飛は恐れ入り、劉備に「天下の才を小役人にしていた」と報告した。

3

落鳳坡

雒城攻めの朝、龐統の馬が暴れて彼を振り落とした。劉備は自分の白馬を貸し与える。だが敵将張任は「白馬に乗るのが劉備だ」と兵に伝えていた。小道にさしかかったとき、龐統は土地の名を尋ねる。「落鳳坡と申します」。鳳雛の名を持つ者が、鳳の落ちる坂で矢の雨を浴びた。三十六歳の夭折だった。

「百里の小県など、何ほどのことがあろう」

龐統

正史ではどうだった?

正史でも「鳳雛」の呼び名と、劉備の入蜀に上中下三策を献じたことは記録されている。連環の計や耒陽の逸話は演義の脚色。雒城攻めの最中に流れ矢に当たって戦死したのは事実だが、落鳳坡の名や白馬の話は創作である。醜貌の記述も正史にはない。