三三国志 英雄図鑑
蜀劉備の初代軍師

徐庶じょしょ 字・元直

孔明を推挙して去った、歴史を動かした恩人

生没年不詳#軍師#推挙#孝#単福
統率武力知力政治魅力6852937582

人物

潁川の人。若い頃は剣を帯びて人の仇を討つ任侠の徒だったが、捕らえられて命拾いしてからは学問に転じ、司馬徽や諸葛亮と交わる。単福と名乗って新野の劉備に仕え、軍師として曹仁の八門金鎖の陣を破り、樊城を奪って劉備に初めて軍師の力を見せつけた。これを恐れた曹操は程昱の策で徐庶の母を許都へ連れ去り、偽の手紙で徐庶を呼び寄せる。孝心篤い徐庶は劉備のもとを去ったが、別れ際に馬を返して「臥龍、諸葛孔明を訪ねられよ」と推挙した。母は息子が騙されたことを知って自ら命を絶ち、徐庶は「曹操のために一計も献じない」と誓う。赤壁では龐統の連環の計を見抜きながら黙し、戦場を離れた。彼が劉備の前に現れなかったら、三顧の礼も天下三分もなかった。歴史を動かした恩人である。

名場面

1

八門金鎖の陣を破る

新野に攻め寄せた曹仁は、八門金鎖の陣を敷いて劉備軍を威圧した。単福こと徐庶は一目見て「生門から入り景門へ抜ければ崩れる」と見抜き、趙雲に五百騎で突入させた。陣はたちまち崩れ、曹仁は樊城まで追い落とされる。曹操は「劉備に軍師がついた」と驚き、徐庶の正体を知ると、その母を使って彼を奪う策に出る。

2

母への偽手紙

曹操は徐庶の母を許都に迎え、息子に手紙を書けと迫ったが、母は「劉備は仁君、曹操は逆賊」と硯を投げつけて拒んだ。程昱は母の筆跡を真似て「母の命が危うい、すぐ来い」という偽手紙を送る。徐庶は涙ながらに劉備に別れを告げた。劉備は見送りに林の木をすべて切り倒させたという。「あの林が元直の姿を隠すのが憎い」からであった。

3

走馬薦諸葛

馬で去っていった徐庶が、ふと手綱を返して戻ってきた。劉備は思い直してくれたかと喜んだが、徐庶は言う。「心が乱れて大事なことを忘れていました。襄陽の隆中に、臥龍と呼ばれる者がいます。諸葛孔明。私など蛍の光、彼は満月です。必ずお訪ねください」。そう言い残して、今度こそ去っていった。この一言が、劉備の運命を変えた。

「わが身は曹営にあれども、心は漢にあり」(演義で徐庶の志を表す言葉として知られる)

徐庶

正史ではどうだった?

正史の徐庶は、諸葛亮を劉備に推挙したことは同じだが、曹操に奪われた経緯は異なる。長坂の戦いで母が曹操軍に捕らわれたため、自ら劉備に暇乞いして曹操に仕えた。魏では右中郎将・御史中丞まで昇っており、「一計も献じなかった」というのは演義の脚色。諸葛亮は後年「徐庶ほどの者が重用されぬとは」と嘆いた。