三三国志 英雄図鑑
魏曹操を支えた老練の知恵袋

程昱ていいく 字・仲徳

夢に泰山を見た、剛直にして冷徹な参謀

141年〜220年(享年79)#軍師#剛直#兗州死守#徐庶の母
統率武力知力政治魅力7250908062

人物

兗州東阿の人。若い頃、泰山に登って両手で太陽を捧げ持つ夢を見たため、曹操が名の「立」に「日」を加えて「昱」と改めさせたと伝わる。黄巾の乱では郷里を守って賊を退け、曹操が兗州を得ると荀彧の推挙で仕えた。呂布が兗州を奪った時、荀彧とともにわずか三城を死守し、曹操が帰る場所を守り抜いたことが最初の大功である。以後は曹操に従って各地を転戦し、戦場でも政務でも冷徹な献策を行った。徐庶の母の筆跡を真似て偽の手紙を書き、徐庶を劉備から引き離す策を立てたのも程昱であり、仁義に縛られぬ非情さが光る。赤壁では連環の計の危うさを見抜いて火攻めを警告したが、曹操は冬の風向きを理由に聞き入れなかった。八十歳まで生き、曹丕の即位を見届けて世を去る。その剛直さゆえ敵も多かったが、曹操の信頼は終生変わらなかった。

名場面

1

三城を守る

曹操が徐州を攻めているあいだに、陳宮が呂布を引き入れて兗州の諸城が次々に寝返った。残るは鄄城・范・東阿の三城のみ。程昱は范に駆けつけ、城を明け渡そうとしていた県令を説得して踏みとどまらせ、渡し場を押さえて呂布の兵を渡らせなかった。東阿では郷里の人望を頼りに守りを固める。曹操が戻った時、帰る城があったのは程昱と荀彧のおかげであった。

2

徐庶の母の手紙

新野で曹仁を破った劉備の軍師が徐庶だと知った曹操は、彼を引き抜きたいと願った。程昱は「徐庶は孝行者です。母を許に連れてくれば必ず来ます」と進言する。だが母は毅然として息子に手紙を書かず、曹操を罵った。そこで程昱は母を何度も訪ねて親しくなり、その筆跡を覚えて偽の手紙を書く。手紙を見た徐庶は劉備に別れを告げて許へ走った。程昱の策は成功したが、得たものは沈黙する軍師だけであった。

3

火攻めを警告す

赤壁で曹操は龐統の進言どおり船を鎖でつなぎ、兵が船酔いしないよう板を渡して陸のようにした。曹操が満足げに眺めていると、程昱が進み出る。「船をつなげば身動きが取れず、火攻めを受ければ逃げられません」。曹操は笑った。「今は冬。北西の風が吹く季節に、南の敵が火を放てば自分を焼く。心配は無用だ」。その夜、東南の風が吹いた。程昱の警告は的中したが、それを聞く者はいなかったのである。

「曹公のそばに知者は多いが、程昱ほど胆のある者はいない」と評された

程昱

正史ではどうだった?

正史でも兗州の三城を守った功績、剛直な性格、曹操の深い信頼は演義と同じ。徐庶の母の偽手紙は演義の創作で、正史の徐庶は長坂で母が捕らえられたため自ら曹操に向かった。赤壁での火攻め警告も演義の脚色である。兵糧不足の際に人肉を混ぜたという暗い逸話が正史の注にある。