郭嘉かくか 字・奉孝
郭奉孝がいれば、赤壁で負けはしなかった
人物
潁川の生まれ。はじめ袁紹に会ったが「主君の器ではない」と見切り、荀彧の推挙で曹操に会う。曹操は「わが大業を成させてくれるのはこの男だ」と喜び、郭嘉も「これぞ真の主君」と言って以後十一年間、曹操の軍師として常に従軍した。官渡の前には袁紹と曹操を比べた「十勝十敗」の論を述べて主君を奮い立たせ、呂布攻めでは撤退を思いとどまらせて水攻めを進言する。袁紹の死後は「袁家の兄弟は争う、放っておけ」と進言して労せず河北を得させ、烏丸遠征では「兵は神速を貴ぶ」と軽装の急襲を献じて勝利に導いた。しかし遠征の帰途、病を得て三十八歳の若さで世を去る。曹操は「わしの後事を託すつもりだった」と号泣し、翌年、赤壁で大敗した時には「郭奉孝がいれば、こんな負け方はしなかった」と嘆いた。
名場面
十勝十敗
袁紹との決戦を前に、兵力で劣る曹操は不安を隠せなかった。郭嘉は進み出て、十の点で曹操が勝り、袁紹が劣ると説き起こす。「袁紹は礼儀にこだわり、公は自然体。袁紹は疑い深く、公は人を信じて用いる。袁紹は決断が遅く、公は機を逃さない」。最後に「これで勝てぬはずがありません」と締めた。曹操は笑って「私にそんな資格があるか」と言いつつ、迷いは晴れていた。
兵は神速を貴ぶ
袁尚兄弟が烏丸に逃げ込むと、諸将は「遠征のあいだに劉表が許を襲う」と反対した。郭嘉だけが「劉表は劉備を使いこなせない。今討たねば烏丸と結んで禍根となる」と主張し、曹操は出陣を決める。道中、郭嘉は「兵は神速を貴ぶ。輜重を捨てて軽騎で急げ」と進言した。曹操軍は険しい山道を突っ切り、白狼山で敵を奇襲して単于を討ち取る。郭嘉はこの帰路に病を得て倒れた。最後の献策で、曹操の北方統一を完成させたのである。
曹操の嘆き
赤壁で大敗し、華容道で関羽に命を助けられた曹操は、南郡にたどり着いてようやく息をついた。諸将が慰めの酒を勧めると、曹操は突然、天を仰いで号泣した。「郭奉孝がいてくれたら、わしをこんな目に遭わせはしなかった。奉孝、奉孝よ」。居並ぶ軍師たちはみな顔を伏せて恥じ入った。生きている者を叱るのではなく、死んだ者を思って泣く。これが郭嘉という軍師の重みであり、曹操の人の使い方でもあった。
「兵は神速を貴ぶ」
正史ではどうだった?
正史でも曹操の軍師祭酒として呂布討伐、袁家の内紛利用、烏丸遠征などで献策し、三十八歳で病没した。曹操が赤壁の敗戦後に郭嘉を偲んで嘆いたことも記録にある。十勝十敗の論は正史の注に見え、演義がこれを採用した。素行の乱れを陳羣に糾弾されたが曹操は気にしなかったという。