荀攸じゅんゆう 字・公達
愚者を装い、戦場では誰よりも鋭い刃を研いだ
人物
荀彧の甥にあたるが、年は荀彧より六歳上。若い頃から人の表情を見て罪を見抜くなど鋭い観察眼で知られ、董卓暗殺を企てて投獄されても平然と酒を飲んでいたという胆力の持ち主である。荀彧の推挙で曹操に仕えると、曹操は「荀公達は人ではない、わが謀主だ」と喜んだ。以後は常に曹操に従軍し、呂布を下邳で水攻めにする策、白馬で顔良を討つための陽動の策、延津で輜重を餌に文醜を誘い出す策と、戦場での奇計を次々と立てた。官渡では許攸の投降を信じるよう進言し、烏巣攻めの決断を後押ししている。袁家討伐でも兄弟を争わせて各個撃破する方針を立て、河北平定の立役者となった。見かけは愚鈍で温和、内には鋭い知恵を秘めるという、曹操が理想とした謀臣であった。曹操が呉を攻める途上、陣中で病没する。
名場面
白馬と延津
袁紹の猛将・顔良が白馬を囲んだ時、荀攸は「兵を分けて延津から渡河するふりをし、袁紹の目をそらしてから白馬を急襲すべし」と進言した。袁紹はまんまと兵を割き、曹操は軽騎で白馬に駆けつけて関羽に顔良を討たせる。続いて延津では、輜重をわざと道に放置して文醜の軍に奪わせ、兵が獲物に群がって乱れたところを一気に叩いた。文醜も討たれる。二つの策で袁紹の両翼をもぎ取ったのは、荀攸の知恵である。
下邳の水攻め
呂布を下邳に追い詰めた曹操軍は、城の堅さと連戦の疲れから撤退を考えた。荀攸は郭嘉とともに「呂布は負け続けて気力が尽き、陳宮の策も遅れがち。今こそ攻める時」と反対し、沂水と泗水を決壊させて城を水没させる策を献じる。城は水に浸かり、兵は呂布を見限り、ついに縛って曹操に差し出した。天下無双の猛将を倒したのは、刃ではなく水と知恵であった。
「外は愚にして内は智、外は怯にして内は勇」と曹操が評した
正史ではどうだった?
正史でも曹操の謀主として戦場で数々の奇策を立て、白馬・延津・下邳・官渡での献策はほぼ記録通り。曹操は「公達は外は愚かに見えて内は知に満ち、顔回でも及ばぬ」と絶賛した。演義では荀彧ほど出番が多くないが、正史における評価はきわめて高い。