呂布りょふ 字・奉先
人中の呂布、馬中の赤兎。並ぶ者なき最強の矛
人物
三国志において武勇の頂点に立つ男である。并州の出身で弓馬に長け、方天画戟をふるい、名馬赤兎にまたがれば向かうところ敵なし。「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と天下がうたった。しかしその生涯は裏切りの連続でもあった。養父の丁原を董卓の誘いで殺し、その董卓を貂蝉への恋ゆえに討ち、やがて自分を迎えた劉備から徐州を奪った。虎牢関では劉備・関羽・張飛の三人を同時に相手取って退かず、濮陽では曹操を散々に苦しめ、轅門では百五十歩先の戟の小枝を射抜いて劉備と袁術軍の争いを収めた。だが知略に欠け、陳宮の献策を聞かず、酒色に溺れて部下の心を失う。下邳城で曹操と劉備の連合軍に包囲され、部下に縛られて捕らえられ、白門楼で縊られて果てた。
名場面
虎牢関の三英戦
反董卓連合の前に立ちはだかった呂布は、一騎で次々と諸侯の武将を打ち倒した。これを見た張飛が蛇矛をかざして飛び出し、五十合を打ち合っても決着がつかない。関羽が青龍刀を携えて加わり、さらに劉備が双剣を抜いて馬を寄せ、三人がかりでようやく呂布は馬首を返した。負けはしたが、天下の英雄三人を一人で相手取ったその姿こそ、最強の証と語り継がれる。
轅門に戟を射る
袁術の将紀霊が三万の兵で劉備を攻めた折、呂布は両者を陣中に招いて酒宴を開いた。そして陣門に画戟を立てさせ、「百五十歩離れたあの戟の小枝を射抜けたら兵を引け、外れたら勝手に戦え」と宣言した。弓を引き絞り放った矢は、見事に小枝を射抜いた。満座がどよめき、紀霊は兵を引かざるをえなかった。腕っぷしだけでなく、呂布らしい粋な仲裁である。
白門楼の最期
下邳城を水攻めにされ、部下の侯成らに縛り上げられた呂布は、曹操の前に引き出された。「わしを副将にすれば天下は思いのままだ」と命乞いをした呂布に、曹操は迷って劉備に意見を求めた。劉備は静かに「丁原と董卓のことをお忘れか」と答える。呂布は「この大耳の小僧が一番信用ならぬ」と罵ったが、そのまま縊り殺された。最強の武人は、裏切りの報いを受けて散った。
「わしを副将にすれば、天下は思いのままぞ」
正史ではどうだった?
正史でも丁原と董卓を殺し、徐州を奪い、下邳で曹操に処刑された流れは同じである。虎牢関の三英戦や貂蝉との恋は演義の創作で、董卓殺害の動機は董卓の侍女との密通と、戟を投げつけられた恨みだった。轅門射戟は正史にも記される実話で、弓の腕は本物であった。