高順こうじゅん
酒を断ち、攻めれば必ず落とす。呂布軍随一の忠将
人物
呂布配下の武将で、その精鋭部隊は「陥陣営」と呼ばれた。攻めれば必ず敵陣を陥れるという意味である。七百余りの兵を率いていたが、装備は常に整い、軍律は厳しく、向かうところ敵なしであった。高順自身も酒を飲まず、賄賂を受けず、口数の少ない清廉な男で、呂布に対しては常に直言を惜しまなかった。呂布はその忠義を知りながらも疎んじ、高順の兵を魏続に預けて戦のときだけ返すという扱いをしたが、高順は不満ひとつ言わずに仕え続けた。小沛では劉備軍を破って夏侯惇と戦い、夏侯惇の目を射た曹性は高順の部下である。下邳城が落ちると高順は捕らえられ、曹操の問いに一言も答えず、黙って首を差し出した。呂布に殉じた、三国志屈指の寡黙な忠臣である。
名場面
陥陣営、小沛を落とす
呂布と劉備が決裂すると、高順は陥陣営を率いて小沛に向かった。劉備は城を出て迎え撃ったが、高順の精鋭はまったく崩れず、劉備軍はたちまち押し返された。曹操が救援に送った夏侯惇も、高順との一騎打ちのさなか、高順の部下曹性の矢で左目を射抜かれた。夏侯惇が矢ごと目玉を抜いて飲み込んだ逸話は、この高順との戦いで生まれたものである。劉備は妻子を城に残して逃げ、小沛は落ちた。
無言の最期
下邳城が落ち、高順は縛られて白門楼の曹操の前に引き出された。曹操は「おぬしに言うことはあるか」と問うたが、高順は一言も発さず、ただまっすぐ前を見つめていた。降伏を勧めても首を振らず、命乞いもせず、呂布を恨む言葉も吐かなかった。曹操は「斬れ」と命じ、高順は黙って刑場に歩いた。同じ日に張遼は降って曹操の名将となり、高順は死を選んだ。高順の沈黙は三国志で最も雄弁な忠義のひとつである。
「将軍はよく考えずに動き、失敗してから後悔なさる」と諌めたと伝わる
正史ではどうだった?
正史の注に、陥陣営と呼ばれた精鋭部隊、酒を飲まず賄賂を受けぬ清廉さ、呂布への直言、それでも呂布に疎まれたことなどが記されている。小沛で劉備を破り、夏侯惇を退けたのも史実である。下邳で捕らえられて処刑されたが、その最期の言葉は正史には残っていない。