三三国志 英雄図鑑
第2部 群雄割拠・193〜195年

第6章徐州と兗州:曹操、呂布と戦う

父を殺された曹操は徐州の陶謙を攻めるが、留守の兗州を呂布に奪われる。劉備は徐州を譲られる。

舞台:徐州・濮陽・兗州

西暦一九三年、兗州に根を下ろした曹操は、隠居していた父・曹嵩を呼び寄せた。ところが徐州を通る途中、護衛に出た陶謙の部下が財宝に目がくらみ、曹嵩一家を皆殺しにしてしまう。知らせを聞いた曹操は泣き叫んだ。「陶謙め、徐州の民を根絶やしにして父の仇を討つ」。

徐州の牧・陶謙は温厚な老人で、事件は部下の暴走であった。だが曹操は聞く耳を持たない。曹操軍は進む先々で城を屠り、泗水の流れが死体で止まったと伝えられる。陶謙は震えて、各地に救いを求めた。

これに応じたのが、北海の孔融と、平原にいた劉備である。孔融は孔子の子孫で、幼いころ梨を兄に譲った逸話で名高い学者であった。劉備は数千の兵で徐州へ入り、まず曹操に手紙を送って和を勧めた。曹操は怒ったが、そこへ兗州から急報が届く。「呂布が兗州を奪いました」。

呂布は長安を追われたのち、各地を転々としていた。曹操の友人であったはずの張邈と、かつて曹操を助けた陳宮が、その呂布を兗州へ引き入れたのである。陳宮はかつて曹操が「われ人に背くとも、人をしてわれに背かしめず」と無実の一家を殺したのを見て、曹操に見切りをつけていた。

曹操はやむなく徐州を引き上げ、呂布と濮陽で戦った。だが呂布は強い。夜討ちをかけた曹操は城内の火に囲まれ、燃え落ちる梁で手をやけどし、髪を焼かれた。暗闇の中、呂布が馬で駆け寄り、画戟で曹操の兜を叩いて聞いた。「曹操はどこだ」。曹操は顔を伏せて「あの黄色い馬の男です」と指さし、九死に一生を得た。

窮地を救ったのは曹操の猛将たちであった。典韋は八十斤の双戟を振り回し、「敵が十歩に迫ったら知らせろ」と言って短戟を投げては敵を倒す。曹操は敗れつつも、荀彧の「兗州は根本、根本を失えば天下は取れぬ」という進言を守って粘り、翌年、蝗の害と飢饉の中で呂布を徐々に押し返した。一九五年、呂布は兗州を失って徐州へ逃げ込む。

その間、徐州では陶謙が病に倒れていた。老人は劉備の手を握って言った。「徐州は玄徳殿にお譲りしたい。そうでなければ民が救われぬ」。劉備は三度断った。だが陶謙の死後、徐州の豪族・糜竺らが牌印を持って迎えに来ると、ついに徐州の牧となる。筵売りの青年が、一州の主となったのである。

そこへ流れ着いたのが呂布であった。劉備はこの飢えた狼を小沛に置いて養った。張飛は「あんな裏切り者を養うことはない」と怒ったが、劉備は「困っている者を見捨てるのは義ではない」と答える。この情けが、やがて徐州を奪われる火種になろうとは、誰が知ろうか。

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