三三国志 英雄図鑑
蜀蜀の安漢将軍

糜竺びじく 字・子仲

全財産を劉備に投じた、草創期の大恩人

?〜221年#豪商#徐州#資金援助#劉備の義兄
統率武力知力政治魅力4025708575

人物

東海朐県の豪商の家に生まれ、召使い一万人、財産は億を数えたという。徐州牧の陶謙に仕え、陶謙が死の床で「劉備に徐州を」と遺言すると、その意を受けて劉備を迎え入れた。以後、糜竺は劉備が呂布に徐州を奪われて流浪するなかでも離れず、妹を劉備に嫁がせ、金銀と奴僕二千を軍資金として差し出した。劉備が曹操・袁紹のもとを転々とし、荊州へ落ちていくときも、常に家族と財産を投げうって支え続ける。劉備が益州を得ると、諸葛亮よりも上座の安漢将軍に任じられ、劉備の最大の功臣として遇された。しかし弟の糜芳が関羽を裏切って呉に降ると、糜竺は自ら縄を打って劉備の前に罪を謝した。劉備は「兄弟は別だ」と慰めたが、糜竺は恥じて病に伏し、ほどなく世を去った。商才で乱世を支えた、劉備草創期の大恩人である。

名場面

1

陶謙の遺言を伝える

徐州の陶謙が病に倒れたとき、枕元に呼ばれた糜竺は「劉備以外に徐州を託せる者はいない」という遺言を聞いた。陶謙の死後、糜竺は人々を率いて劉備のもとへ向かい、徐州牧の印綬を差し出す。劉備が何度も断ると、糜竺は「民が望んでいるのです」と説いて受けさせた。流浪の劉備が、初めて自分の土地を持った瞬間だった。

2

全財産を投げうつ

呂布に徐州を奪われ、劉備は妻子も失って広陵へ落ちた。兵は飢え、進退窮まる。このとき糜竺は妹を劉備に嫁がせ、奴僕二千と金銀をごっそり差し出して軍を立て直させた。曹操が糜竺を嬴郡の太守に任じて引き抜こうとしたときも、彼は官を捨てて劉備に従った。商人の計算では決して割に合わない、情と信義の投資である。

3

弟の罪を負う

関羽の留守を預かっていた糜竺の弟糜芳は、関羽に叱責された恨みから呂蒙に降伏し、荊州を失わせた。報せを聞いた糜竺は、自ら縄を打って劉備の前に進み出て、死罪を請う。劉備は手ずから縄を解き、「弟が背いたからといって兄に罪はない」と慰めた。だが糜竺は恥じ入って病み、一年余りで世を去った。

「わが財は主君のために蓄えたもの。惜しむものなど一つもない」(糜竺の献身を表す言葉として語られる)

糜竺

正史ではどうだった?

正史の糜竺も豪商の出で、妹を劉備に嫁がせ、財産を投じて劉備を支えたことは記録どおり。益州平定後は安漢将軍として諸葛亮より上位の待遇を受けた。糜芳の裏切りの後、恥じて病死したことも事実である。演義では出番こそ少ないが、劉備草創期の実質的な後援者として正史の評価は高い。