三三国志 英雄図鑑
群雄帝を僭称した名門

袁術えんじゅつ 字・公路

玉璽を手に皇帝を名乗り、蜜水を求めて果てた男

?〜199年#僭称#玉璽#名門#驕り
統率武力知力政治魅力6055554540

人物

袁紹の従弟で、袁家の嫡流であることを鼻にかけていた男である。反董卓連合では兵糧奉行を務めたが、孫堅の活躍を妬んで兵糧を止め、虎牢関での敗北を招いた。南陽から淮南に拠点を移して勢力を広げ、孫策が父の形見の伝国の玉璽を預けて兵を借りに来ると、これを得て野心を一気に膨らませる。ついに寿春で皇帝を名乗り、国号を仲とした。しかし天下の諸侯は誰も認めず、呂布には娘の縁談を断られ、曹操・劉備・呂布・孫策の四方から攻められて領土は見る間に削られた。贅沢に溺れて民を顧みなかったため、淮南は飢え、兵は離散した。最後は袁紹を頼って北へ向かう途中、劉備の軍に阻まれて逃げ場を失い、「蜜水が飲みたい」と言っても血水しかないと告げられ、血を吐いて死んだ。驕りが身を滅ぼした典型として語られる。

名場面

1

玉璽を手に帝を称す

孫策から玉璽を預かった袁術は、「袁の姓は舜の末裔、土徳が火徳の漢に代わるのは天命である」と群臣に宣言し、皇帝を名乗った。主簿の閻象が「周の文王は天下の三分の二を得てもなお殷に仕えた」と諌めたが、袁術は聞かなかった。寿春に宮殿を建て、後宮に数百の美女を集めて、自らを仲家の皇帝と称した。この瞬間から、袁術は天下すべてを敵に回したのである。

2

蜜水はなし

四方から攻められ、寿春を捨てた袁術は、玉璽を袁紹に献上する見返りに庇護を求めて北へ向かった。だが途中で劉備の軍に行く手を阻まれ、夏の暑さの中で兵糧も尽きた。残ったのは麦の屑ばかりで、袁術は「蜜水を一杯飲みたい」と厨房係に求めたが、答えは「血水ならございますが、蜜水などあるものですか」であった。袁術は寝台の上で叫び声を上げて血を吐き、そのまま息絶えた。皇帝を名乗った男の、あまりにも惨めな最期である。

「蜜水を一杯飲みたい」

袁術

正史ではどうだった?

正史でも皇帝を僭称し、諸侯から見放されて窮死した点は同じである。玉璽を孫策から得た話は裏付けが薄いが、玉璽を持っていたとする記録はある。袁紹とは従兄弟ではなく異母兄弟とする説もあり、仲が悪かったのは事実である。蜜水を求めて死んだ逸話も正史の注に見える。