三三国志 英雄図鑑
呉江東の小覇王

孫策そんさく 字・伯符

項羽の再来、疾風のように江東を駆けた青年

175年〜200年(享年25)#君主#猛将#小覇王
統率武力知力政治魅力9293747090

人物

父・孫堅を十七歳で失った孫策は、仇敵の袁術の下に身を寄せる苦い日々を送った。だが志は折れない。父の遺した玉璽を担保に袁術から兵三千を借り受け、親友の周瑜を伴って江東へ渡る。劉繇を破り、太史慈と一騎打ちを演じて互角に渡り合い、ついには彼を部下に迎えた。厳白虎、王朗を次々と下し、わずか数年で江東六郡を平らげたその姿は、人々から「小覇王」と呼ばれた。覇王とは楚の項羽、つまり並ぶ者なき猛将への賛辞である。袁術が皇帝を僭称すると縁を切り、曹操からも一目置かれる存在となった。しかし狩りの最中に許貢の食客に襲われて重傷を負い、二十六歳で世を去る。死の床で弟の孫権に印綬を授け、「内政は張昭、外のことは周瑜に問え」と言い残した。

名場面

1

玉璽を質に、兵を借りる

袁術の下で冷遇されていた孫策は、母と父の忠臣たちを養うためにも立ち上がらねばならなかった。彼は父が洛陽で得た伝国の玉璽を袁術に差し出し、代わりに兵三千と馬五百を借り受ける。玉璽という天下の宝を、ただの軍資金に替える。そこに迷いはなかった。「宝は再び取り戻せる。だが時は戻らない」という決断が、呉という国の出発点になったのである。

2

太史慈との一騎打ち

神亭嶺で、孫策は劉繇配下の太史慈と出くわした。二人は馬を並べて槍を交え、落馬してからもなお組み合い、互いの兜と短戟を奪い合ったという。日が暮れ、双方の援軍が駆けつけて引き分けに終わったが、孫策はこの男を心から欲しがった。のちに太史慈を捕らえると、自ら縄を解いて迎え、「あのとき私が負けていたら殺したか」と笑って問うた。太史慈は、わからぬ、と正直に答えたという。

3

鏡に映った于吉の影

仙人めいた道士・于吉が民の信仰を集めるのを見て、孫策は「妖術で人心を惑わす」と斬り捨てた。だがそれからというもの、孫策の目の前に于吉の姿がちらつく。狩りの傷が癒えかけたころ、鏡をのぞくと背後に于吉が立っていた。孫策は絶叫して鏡を叩き割り、傷口がすべて開いて血を噴いた。死の床で孫権を呼び、「江東の衆を率いて天下と争うのはお前がわしに及ばぬが、賢人を用いて国を守るのはわしがお前に及ばぬ」と言い残した。

「内政で迷えば張昭に、外のことで迷えば周瑜に問え」

孫策

正史ではどうだった?

正史でも江東平定の速さは驚異的で、曹操が「あの小僧とは張り合いにくい」と漏らしたと伝わる。于吉の怪異は演義の色づけだが、許貢の客に襲われて死んだこと、孫権への遺言はほぼ史実どおりである。