黄蓋こうがい 字・公覆
わが身を鞭打たせ、赤壁に火をつけた老骨
人物
黄蓋は零陵の人で、孫堅の挙兵のころから従った最古参の一人である。孫堅が峴山で討たれたときには遺体を取り戻し、孫策の江東平定でも鉄鞭をふるって先頭に立った。孫権の代になると、すっかり白髪の老将だったが気骨は衰えない。曹操の大軍が迫ったとき、彼は周瑜に火攻めを進言し、その成功のために自らの身を差し出した。軍議の席でわざと周瑜に逆らい、百叩きの刑を受けて皮肉が裂ける。これが苦肉の計である。降伏の手紙を信じた曹操のもとへ、黄蓋は油と薪を積んだ船団を率いて突進し、長江を火の海に変えた。この一戦の最中、張遼の矢を受けて川に落ちるが、韓当に救い上げられて生還。演義では「わしの声がわからぬか」と叫んで助けを求める場面が印象深い。その後は武陵太守などを務め、天寿を全うしたと伝わる。
名場面
百叩きの苦肉の計
周瑜が「三か月分の兵糧を」と命じると、黄蓋は「三か月どころか、三十か月あっても勝てぬ。降伏すべきだ」と言い放った。周瑜は激怒し、斬首を命じる。諸将がひれ伏して命乞いをし、ようやく百叩きに減じられた。黄蓋の背は裂け、血が床を濡らし、たびたび気を失った。見ていた者は誰もが涙を流した。だが同じ日の夜、周瑜と黄蓋は密かに杯を交わしている。二人だけの芝居だったのだ。闞沢が密書を運び、曹操はまんまと信じた。
火船、長江を染める
東南の風が吹いた夜、黄蓋は二十隻の快速船に乾いた薪と油をたっぷり積み、青い幕で覆って曹操の船団へ向かった。曹操の船団は鎖でつながれ、動くに動けない。「黄蓋が降伏に来た」と喜ぶ曹操軍の前で、黄蓋は火をつけさせた。火船は風に乗って突っ込み、鎖の船はすべて燃え移る。炎が空を焼き、川面が赤く照る。曹操は命からがら華容道へ逃げた。
公覆、わしの声を忘れたか
火船を率いて突撃した黄蓋は、逃げる曹操を見つけて追ったが、張遼の矢を肩に受けて冷たい川へ落ちた。味方の船に見つけられたものの、兵たちは燃え盛る闇の中で誰が落ちたのか見分けがつかない。そこへ韓当の船が通りかかる。「義公、わしだ、公覆だ。わしの声を忘れたか」。韓当は驚いて老将を引き上げ、濡れた衣を脱がせて矢を抜いた。赤壁の勝利の裏に、こんな危うい一幕があった。
「義公、わしだ。黄公覆だ。わしの声を忘れたか」
正史ではどうだった?
正史でも火攻めを献策したのは黄蓋とされ、火船による奇襲も実際に行われた。ただし百叩きの苦肉の計は演義の創作で、史書には降伏の偽書を送ったとだけある。山越の討伐や地方統治にも手腕を見せ、民衆に慕われた記録が残る。