三三国志 英雄図鑑
呉呉の筆頭宿将

程普ていふ 字・徳謀

鉄脊蛇矛をふるった、呉でいちばんの古株

生没年不詳#武将#宿将#孫家三代
統率武力知力政治魅力8484726678

人物

程普は右北平の人で、孫堅がまだ県の役人だったころからの付き合いという、呉軍で最も古い将である。鉄脊蛇矛という得物を使い、反董卓連合では華雄の配下・胡軫を一槍で突き落とした。孫堅の死後は孫策を支えて江東平定に従い、孫権の代には黄蓋、韓当とともに「老将」と呼ばれる重鎮となる。赤壁の戦いでは、周瑜の副将に任じられた。年下の周瑜の下につくことに最初は不満を隠さず、病と称して軍議を欠席した。しかし周瑜が見事に軍を動かすさまを見て態度を改め、以後は心から従うようになる。「周公瑾と交わるのは、美酒を飲むように知らず知らず酔わされる」という有名な言葉は、この程普のものだ。南郡攻略にも加わり、周瑜の死後は一時その後を継いで南郡を治めた。孫家三代を見届けた、呉の良心ともいうべき人物である。

名場面

1

孫堅の遺体を取り戻す

峴山で孫堅が討たれたとき、呉軍はたちまち崩れた。程普は黄蓋、韓当とともに劉表軍と交渉し、捕らえていた黄祖と引き換えに主君の遺体を取り戻した。嘆きのなかで、程普は泣いている十七歳の孫策に言う。「若君、涙を拭かれよ。殿の志は、まだ終わってはおりませぬ」。この言葉を胸に孫策は立ち上がり、程普たちは一兵も欠けることなく若君に従って江東へ戻った。

2

美酒のような男

赤壁の戦いを前に、周瑜が大都督、程普が副都督と決まった。孫堅以来の老将が、まだ三十そこそこの周瑜の下につくのである。程普は病と称して出てこず、息子を代わりに送った。だが周瑜はそれを責めず、淡々と軍令を発して水陸の兵を整える。その手並みに程普は驚き、自ら周瑜を訪ねて詫びた。「周公瑾と交わるのは、美酒を飲むようなものだ。知らぬうちに酔わされる」。老将の潔さが、呉の軍を一つにした。

「周公瑾と交わるは、美酒を飲むがごとし。知らぬうちに酔わされる」

程普

正史ではどうだった?

正史でも孫堅挙兵以来の宿将で、周瑜との和解と美酒の言葉は史書に残る。江夏や南郡を治める地方官としての実績も多い。演義では存在感がやや薄いが、正史の呉の将の列伝では筆頭に置かれている。