韓当かんとう 字・義公
弓と馬に長けた、黙々と戦い続けた老将
人物
韓当は遼西の人で、弓と馬の腕を買われて孫堅に仕え、程普、黄蓋とともに孫家三代を支えた宿将である。反董卓連合で華雄や董卓軍と戦い、孫堅の死後は孫策の江東平定に従った。孫権の代には黄祖討伐、赤壁、南郡と主要な戦いのほとんどに顔を出す。赤壁では火船を率いる黄蓋と同じ水軍を預かり、矢を受けて川に落ちた黄蓋を引き上げて命を救った。派手な武勇伝は少ないが、どの戦場にも必ずいて、いつも確かな働きをする。そういう将であった。夷陵の戦いでは陸遜の指揮に不満を漏らす老将の一人として描かれるが、火攻めが始まると勇んで蜀軍を追撃している。のちには石亭の戦いで周魴の計にかかった曹休を破る戦いにも加わった。戦場で歳を重ね、呉の国と共に老いた、まさに叩き上げの武人である。
名場面
黄蓋を救い上げる
赤壁の火の夜、韓当の船は燃える曹操軍の船団のあいだを縫って進んでいた。そのとき、水面から自分の字を呼ぶ声がする。「義公、わしだ、公覆だ」。見ればそれは矢を受けて落ちた黄蓋であった。韓当は自ら身を乗り出して老友を引き上げ、濡れた衣を剥いで矢を抜き、自分の戦袍を着せた。長年ともに戦った二人だからこそ、闇の中でも声で互いがわかったのである。
若い大都督への不満
劉備の大軍が夷陵に迫ったとき、大都督に任じられたのは書生あがりの陸遜であった。韓当や周泰ら老将は「我らは孫堅様の代から戦ってきた。あんな若造に何がわかる」と不満をあらわにした。陸遜は剣を手に「軍法は年齢を問わぬ」と言い切り、守りに徹する。半年後、火攻めで蜀軍が崩れると、韓当は真っ先に兵を率いて飛び出し、敗走する蜀軍を追い散らした。老将の意地が、若い知将の策を完成させた。
「われら三代の老骨、まだ刀は錆びついてはおらぬ」
正史ではどうだった?
正史でも孫堅以来の宿将で、弓馬に優れたと記される。黄蓋を救った場面は演義の脚色だが、赤壁や夷陵への従軍は事実である。死後、その子の韓綜が魏に亡命したため、孫権を大いに怒らせたという後日談が残る。