孫堅そんけん 字・文台
呉の礎を築いた、猛虎のごとき先駆者
人物
呉の国の物語は、この男から始まる。孫堅は呉郡富春の人で、かの兵法家・孫武の末裔を名乗った。十七の年に海賊を一人で追い散らして名を挙げ、黄巾の乱では朱儁の下で勇名をとどろかせる。長沙太守となってからは董卓討伐の連合軍に加わり、諸侯の多くが日和見を決め込むなか、ただ一人まっすぐ洛陽へ攻め上った。華雄の軍を破り、焼け落ちた都に一番乗りを果たし、井戸の底から伝国の玉璽を手に入れたのもこのときである。だが玉璽を抱えて帰る途中、袁紹の差し金で劉表に行く手を阻まれ、恨みを抱いたまま荊州へ攻め入る。峴山の山中で伏兵の矢と石に打たれ、三十七歳で散った。その死はあまりに早かったが、残した部下と息子たちが、やがて江東に大きな国を建てる。
名場面
焼け野の洛陽と伝国の玉璽
董卓が火を放って去った洛陽に、孫堅の軍は真っ先に入城した。瓦礫のなかで井戸から五色の光が立ちのぼるのを見つけ、兵に引き上げさせると、井戸の底から宮女の遺体と、その首にかけられた朱塗りの小箱が出てきた。開けば、始皇帝以来の伝国の玉璽である。孫堅は天命が自分に下ったと信じ、病を理由に軍を引いた。この一件が、のちの彼の運命を大きく揺らすことになる。
玉璽を疑われて
帰国の挨拶に来た孫堅を、盟主の袁紹は冷たく見据えた。玉璽を隠し持っているだろう、という。孫堅は「そのようなものを持っているなら、刀と矢にかかって死んでもよい」と天に誓い、席を蹴って立った。袁紹は背後から剣を抜き、両軍にらみ合いとなるが、諸侯が割って入って事なきを得る。しかし袁紹は密かに劉表へ手紙を送り、孫堅の帰路を襲わせた。連合の内側から、呉の悲劇の種がまかれたのである。
峴山に散る虎
劉表への復讐に燃えた孫堅は、荊州の襄陽を囲んだ。ある夜、敵将の黄祖の兵が山へ逃げ込むのを見て、孫堅は少数の供だけでこれを追う。峴山の木立に入った瞬間、鐘の音とともに矢と岩が雨のように降り注いだ。江東の虎は、わずか三十七歳で命を落とす。部下の黄蓋や程普は涙をのんで遺体を取り返し、幼い孫策を抱えて江東へ帰った。
「わしが玉璽を隠しているというなら、矢と刀にかかって死ぬまでのこと」
正史ではどうだった?
正史でも董卓軍を正面から破った唯一の諸侯として高く評価される。ただし玉璽を井戸から拾った話は演義の脚色が強い。戦死の状況も、単騎で追撃して射られたという記述で、連合の裏切りという筋立ては物語のためのものである。