三三国志 英雄図鑑
群雄荊州の牧

劉表りゅうひょう 字・景升

乱世に荊州を守り抜いた、学問好きの穏健な名士

142年〜208年(享年66)#荊州#名士#八俊#守成
統率武力知力政治魅力6040708075

人物

漢の皇族の末裔で、若い頃から「八俊」の一人に数えられた名士である。単身で荊州に乗り込み、地元の豪族を懐柔して群雄が争う乱世に荊州を安定させた手腕は見事であった。荊州は戦乱を逃れた学者や民が集まる豊かな土地となり、劉表はそこで学問を振興し、書物を集めた。孫堅が攻めてきたときは部下の黄祖が伏兵でこれを討ち、孫家と長く対立することになる。だが、守ることはできても攻める気概はなかった。官渡の戦いでは袁紹と曹操のどちらにも味方せず、曹操が河北で手一杯の隙に許を衝くよう勧めた劉備の献策も退けた。晩年は後妻の蔡氏とその一族に牛耳られ、長男劉琦と次男劉琮の後継争いに頭を悩ませる。曹操の南下が迫る中で病死し、残された劉琮はあっさりと降伏した。乱世に守りの一手だけを打ち続けた、惜しい人物である。

名場面

1

劉備を迎える

曹操に敗れて流浪の身となった劉備を、劉表は同族のよしみで快く迎え、新野の城を与えた。宴席で劉表が「こんな乱世に何もできぬ」と嘆くと、劉備は「わたしは髀の肉がついてしまった」と涙をこぼす。戦場で馬に乗っていれば腿の肉はつかないのに、何年も無為に過ごしたという嘆きである。劉表は劉備の志に感じ入ったが、劉備に荊州を譲ろうと言っては蔡氏に止められ、ついに決断できなかった。

2

檀渓の跳躍

劉表が劉備に荊州を譲る気配を見せたことで、蔡瑁は劉備暗殺を企てた。襄陽の宴に招かれた劉備は伊籍の密告で席を抜け出し、的盧に乗って西へ逃げる。行く手には幅数丈の檀渓が立ちはだかり、背後には追っ手が迫った。劉備が「的盧よ、今日こそ我を害すな」と叫んで鞭を入れると、的盧は宙を飛んで対岸に着地した。劉表自身は劉備を害する気はなかったが、彼の勢力の内部はすでに腐っていたのである。

「わたしのような者には、乱世に打つ手がない」と嘆いたと伝わる

劉表

正史ではどうだった?

正史でも荊州を平定して学問を興し、官渡では中立を保ち、後継争いの末に病死した点は同じである。単身で荊州に赴任して地元豪族の協力で反対派を一掃した手腕は高く評価され、荊州は当時もっとも平和な土地のひとつであった。劉備に荊州を譲ろうとしたという話は演義の脚色である。