第14章長坂の戦い:趙雲と張飛
曹操の南下で新野を追われた劉備は民を連れて逃げる。長坂で趙雲は阿斗を救い、張飛は橋で曹軍を止める。
孔明を迎えた劉備に、曹操の攻撃はすぐやってきた。西暦二〇八年、曹操の将・夏侯惇が十万の兵で新野に迫る。孔明は剣と印を預かり、初めて軍令を下した。「博望坡の谷で伏兵。火を用いる」。疑っていた関羽と張飛も、夏侯惇の軍が谷で火に包まれ敗走するのを見て舌を巻いた。
だが曹操自身が五十万の大軍で南下すると、新野の小城では支えようがない。折しも劉表が病死し、跡を継いだ幼い劉琮が母の一族に言われるまま曹操に降伏してしまった。孔明は新野を空にして火計で曹仁の軍を焼いたが、それが精一杯であった。
劉備は樊城から江陵へ逃げることにした。新野と樊城の民、十数万がついてくる。「民を捨てて先を急がれよ」と諸将は言ったが、劉備は首を振った。「大事を成す者は人をもって本となす。私を慕う民を、どうして捨てられよう」。一日に十里しか進めぬ行列を、曹操の精鋭騎兵が追った。
当陽の長坂坡で、曹軍が追いついた。夜明け前の闇の中、劉備の軍は散り散りになる。劉備は数十騎で逃げ、二人の夫人と幼い阿斗、後の劉禅の行方は知れない。「趙雲が曹操に寝返った」と叫ぶ者もいたが、劉備は叱った。「子龍は私を見捨てるような男ではない」。
その趙雲は、夫人と阿斗を探して曹軍の中を駆け回っていた。甘夫人を見つけて先に送り、糜夫人を探し出したとき、彼女は足を負傷し、阿斗を抱いて枯れ井戸のそばに座っていた。「将軍、この子を頼みます」。糜夫人は趙雲が馬を譲ろうとするのを拒み、井戸に身を投げた。趙雲は土塀を崩して井戸を埋め、阿斗を胸の鎧の中に抱き入れた。
趙雲は単騎、曹軍の大軍に突入した。槍と奪った青釭の剣で斬り回り、五十余人の曹将を討ったと伝えられる。丘の上から見ていた曹操が「あれは誰だ」と問い、「常山の趙子龍」と答えが返ると、曹操は「真の虎将だ。生け捕りにせよ、矢を放つな」と命じた。
血まみれの趙雲は長坂橋を渡り、劉備に追いついた。鎧を開くと、阿斗はすやすやと眠っていた。趙雲が子を差し出すと、劉備はそれを地面に投げた。「この子一人のために、危うく大将を失うところであった」。趙雲は泣いて拾い上げ、「肝脳を地に塗るとも、ご恩に報います」と誓った。
長坂橋では張飛が一騎、橋の上に立っていた。背後の林には馬の尾に枝をつけて走らせ、土煙を上げさせている。曹軍が橋の手前で止まった。張飛が眼を見開いて咆哮する。「燕人張飛ここにあり。死にたい者は来い」。雷のような声に、曹操のそばにいた夏侯傑が肝をつぶして馬から落ちて死んだ。曹操はかつて関羽が「張飛は百万の軍中で敵将の首を取ること袋の物を取るがごとし」と語ったのを思い出し、馬首を返した。曹軍は雪崩を打って退いた。
劉備は漢津で関羽の水軍と合流し、劉表の長子・劉琦の江夏へ落ち延びた。劉備が民を捨てなかったことは、天下の人心をつかむ礎となる。そして孔明は言った。「次は江東。孫権を動かすほかありません」。