三三国志 英雄図鑑
呉傷だらけの忠臣

周泰しゅうたい 字・幼平

全身の傷跡ひとつひとつが、主君を守った証し

生没年不詳#武将#忠義#護衛
統率武力知力政治魅力7888605078

人物

周泰は九江の人で、蔣欽とともに長江の水賊をしていたが、孫策に出会ってその人柄に惚れ込み、部下となった。孫策はこの男を特に気に入り、弟の孫権の護衛につける。宣城で山賊の夜襲を受けた際、まだ年若い孫権を馬に乗せ、裸同然の姿で十二か所の傷を負いながら血路を開いて救い出した。この働きで孫権は命拾いし、周泰は以後、孫権の身を守る盾となる。赤壁、南郡でも戦功を重ね、濡須で曹操と対峙したときには、包囲された孫権を救うため三度敵中に突っ込み、全身に新たな傷を刻んだ。のちに孫権は宴席で周泰の衣を脱がせ、傷のひとつひとつにどこで受けたかを語らせ、涙ながらに酒を注いだという。口数の少ない無骨者だが、その体がすべてを物語っていた。演義では夷陵の戦いにも老将として登場し、蛮王・沙摩柯を討ち取っている。

名場面

1

宣城の夜、少年を背に

孫策が留守にした宣城で、数千の山賊が夜襲をかけてきた。守る兵はわずか、孫権はまだ十代の少年である。周泰は寝床から飛び起き、鎧をつける暇もなく孫権を抱えて馬に乗せた。槍をふるって賊を突き倒し、左右から浴びる刀を体で受けながら城門へ走る。十二の傷を負って血みどろになりながら、ついに孫権を安全な場所へ届けた。孫策は帰って泣いて感謝し、周泰の傷は名医の手で癒えた。

2

傷跡に酒を注ぐ

濡須の戦いののち、孫権は諸将を集めて酒宴を開き、周泰に前へ出るよう言った。孫権は自ら周泰の衣を脱がせる。現れたのは、刻み込まれたような無数の傷跡である。孫権はそのひとつひとつを指し、どこで受けたかを問うた。周泰が答えるたび、孫権は杯に酒を満たして飲ませる。「幼平、お前はわしのために虎のごとく戦い、身を惜しまなかった。わしがどうして兄弟のように思わずにいられようか」。居並ぶ諸将は言葉を失った。

「この傷は、すべて殿のために受けたもの。惜しくはござらぬ」

周泰

正史ではどうだった?

正史でも宣城で孫権を救った話、濡須の戦いの後に孫権が傷を数えて酒を注いだ話はともに記されており、演義はこれをほぼそのまま採用している。身分の低い出自を侮られたが、孫権の厚遇で諸将の尊敬を勝ち得た。沙摩柯を討った話は演義の創作。