三三国志 英雄図鑑
呉錦帆賊あがりの猛将

甘寧かんねい 字・興覇

鈴を鳴らして突っ込む、百騎で曹営を破った荒くれ

生没年不詳#武将#猛将#錦帆賊
統率武力知力政治魅力8494684876

人物

甘寧は巴郡の人で、若いころは錦の帆を張った船で長江を荒らし回る水賊の頭領だった。腰に鈴をつけて歩き、鈴の音を聞いた者は震え上がったという。やがて心を入れ替えて書を読み、劉表、次いで黄祖に仕えるが、賊あがりとさげすまれて用いられない。孫権軍の凌操を射殺した功も認められず、ついに呉へ走った。孫権は過去を問わずに重く用い、甘寧は黄祖討伐で恩を返す。赤壁では先鋒を務め、曹操が濡須に攻め寄せたときには、わずか百騎の夜襲で曹操の陣を蹴散らして一兵も失わずに帰ってきた。孫権は「曹操には張遼がいるが、わしには甘寧がいる」と喜んだという。凌統とは父の仇として長く対立したが、戦場で凌統を救って和解する。演義では夷陵の戦いで病をおして出陣し、沙摩柯の矢を受けて木の下で息絶えたとされる。

名場面

1

百騎で曹営を劫かす

濡須の陣で、孫権は甘寧に敵の夜襲を命じた。甘寧は精兵百人を選び、酒と肉を振る舞って「今夜は曹操の陣に遊びに行く」と言い放つ。二更の刻、百騎は白い鵞鳥の羽を兜に挿して目印とし、柵を抜いて曹操の本陣に斬り込んだ。曹操軍は闇の中で大混乱に陥り、味方同士で斬り合う始末。甘寧は暴れるだけ暴れて引き揚げ、百騎は一人も欠けていなかった。孫権は絹と刀を賜い、夜どおし彼をたたえた。

2

凌統との因縁と和解

甘寧はかつて黄祖の下で呉と戦い、凌統の父・凌操を射殺していた。凌統は父の仇をつけ狙い、宴の席で剣舞にかこつけて斬りかかったこともある。孫権は二人を別々の陣に置いて争いを避けさせた。しかし合肥で凌統が楽進に追い詰められた瞬間、一本の矢が飛んで楽進を落馬させる。射たのは甘寧だった。凌統は涙を流して礼を言い、二人は以後、生死をともにする友となった。

3

鴉に守られた最期

演義では、劉備が復讐のため呉へ攻め込んだ夷陵の戦いで、甘寧は病身をおして出陣する。蛮族の王・沙摩柯の軍に遭い、鉄の矢を頭に受けて退いた。富池口の大木の下に腰を下ろし、そのまま息を引き取る。すると数百羽の鴉が飛んできて遺体の周りを取り囲み、鳴きながら守ったという。賊あがりの荒くれ者を、天までが惜しんだと人々は語り合った。

「曹操に張遼ありといえど、わが殿には甘寧あり」

甘寧

正史ではどうだった?

正史でも錦帆賊の出自と濡須の夜襲は記録され、「わしには甘興覇がいる」という孫権の言葉も伝わる。ただし夷陵での戦死は演義の創作で、実際にはそれ以前に病没した。粗暴な一面もあり、料理人を殺して呂蒙に叱責された逸話も残る。