丁奉ていほう 字・承淵
雪の中、鎧を脱いで敵陣に飛び込んだ老兵
人物
丁奉は廬江の人で、若いころから甘寧、陸遜、潘璋らの下で小隊長として戦い、常に先頭に立って斬り込むことで知られた。赤壁の時代には一兵卒に近い立場だったが、呉の重鎮たちが次々と世を去るなかで生き残り、やがて国を背負う将となる。孫権の死後、魏の大軍が東興を攻めたとき、丁奉は「敵はわれらを侮っている」と言うなり、雪の降るなかで兵に鎧を脱がせ、短い刀だけで敵陣に突撃させて大勝した。雪中の奮戦は呉の末期を飾る名場面である。さらに権臣・孫綝が国を乱すと、丁奉は孫休と謀って宴席で孫綝を捕らえ、国を救った。孫皓の代にも大将軍として北伐を試みるが、国はもう傾いていた。演義では孫策時代の赤壁から晋の統一直前まで登場する、三国志最長の現役武将の一人である。
名場面
雪中の奮戦
魏の胡遵が東興の堤を攻めたとき、丁奉はわずか三千で先鋒を命じられた。雪が降りしきる中、敵陣を遠くから見た丁奉は、魏兵が酒を飲んで油断しているのを見てとる。「功名を立てるのは今日だ」。彼は兵に鎧と兜を脱がせ、長槍を捨てて短刀だけを持たせた。魏兵は半裸の兵を見て笑ったが、次の瞬間、丁奉の軍は堤を駆け上がり、敵陣に殺到する。魏軍は総崩れとなり、堤から川へ落ちる者が数知れなかった。
孫綝を討つ
幼い皇帝を次々と廃し、権勢をほしいままにする孫綝に、皇帝の孫休は震え上がっていた。丁奉は密かに進み出て、「臘祭の宴に孫綝を招き、席上で捕らえましょう」と進言する。当日、孫綝は病と称して渋ったが、十度にわたる使者に根負けして参内した。酒が回ったころ、丁奉が杯を投げる。それを合図に兵が躍り出て、孫綝は縛り上げられ、その場で首を刎ねられた。老将の一度の決断が、呉の朝廷に短い安寧をもたらした。
「鎧を脱げ。功名を立てるのは、今日この日だ」
正史ではどうだった?
正史でも雪中の東興の戦いと孫綝誅殺は丁奉の功績として記録され、演義もほぼ忠実に描いている。ただし赤壁の戦いに彼が参加していたかは不明で、演義が年代を大きく引き延ばしている。晩年は功を誇って驕り、死後に一族が追放された。