第30章晋の成立と呉の滅亡:天下統一
司馬炎が魏から禅譲を受けて晋を建てる。陸抗の死後、暴君・孫皓の呉は崩れ、百年の乱世が終わる。
蜀を滅ぼした司馬昭は晋王に封じられ、魏の帝位にあと一歩と迫った。洛陽で安楽公として暮らす劉禅を宴に招き、「蜀が恋しいか」と問うと、劉禅は「ここが楽しくて、蜀のことは思い出しません」と答えて周囲を呆れさせた。司馬昭は笑って警戒を解き、劉禅はおかげで天寿を全うする。だが司馬昭自身は病に倒れ、位は長男の司馬炎へ渡った。
翌年、司馬炎は魏の皇帝・曹奐に禅譲を迫った。四十五年前、曹丕が献帝から位を奪ったのと寸分違わぬ手順であった。「歴史は繰り返す」。人々はそう囁いた。こうして魏は滅び、司馬炎は晋の武帝となる。残る敵は呉ひとつ。だがその呉は、孫権の孫・孫皓の治世であった。即位当初こそ善政を敷いたものの、やがて本性を現し、気に入らぬ者の顔の皮を剥ぎ、目をえぐり、宮女を数千人集めた。赤壁以来の宿将・丁奉は年老いてなお呉を支えたが、その死後、諫める者はいなくなっていく。
呉の命脈をつないでいたのは、陸遜の子・陸抗であった。彼は長江の要衝・西陵を守り、国境を挟んで晋の名将・羊祜と向かい合った。この二人は不思議な間柄であった。陸抗が病むと羊祜は薬を送り、陸抗はためらわず飲んだ。「羊祜は人に毒を盛る男ではない」。羊祜もまた、呉の領内で刈り取った穀物には代金を払い、狩りで呉側が傷つけた獲物は返した。敵同士でありながら、互いの徳を認め合う。乱世の末期に咲いた、不思議な信義の花である。
陸抗は孫皓に「西陵の守りを固め、無益な戦を止めよ」と上奏を重ねたが、聞き入れられぬまま病没した。羊祜は「陸抗がいなくなった今こそ」と呉征伐を献策し、自身は実現を見ずに死んだが、その遺志は杜預と王濬に継がれた。
咸寧五年、晋は二十万の大軍を六方面から呉へ向けた。王濬の水軍は長江を下る。呉は川に鉄の鎖を張り、水中に鉄の錐を沈めて船を阻んだが、王濬は筏で錐を取り除き、油を注いだ巨大な松明で鎖を焼き切った。晋の船団は城を次々と降し、翌年三月、建業の城下に至った。孫皓は自らを縛り、棺を車に載せて降伏した。かつて劉禅がそうしたように。
黄巾の乱から九十六年。董卓の暴虐、曹操と袁紹の覇権争い、赤壁の炎、五丈原の星。数えきれぬ英雄たちが駆け抜けた乱世は、司馬炎の手で一つの天下となった。だがその晋もまた、わずか数十年で内乱と異民族の侵入に揺らぐことになる。天下、分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かる。物語の冒頭に掲げられたその言葉が、三国の終わりにも静かに響いていた。