司馬昭しばしょう 字・子上
司馬昭の心は、道行く人も知っている
人物
司馬懿の次男。高平陵の変では父とともに兵を起こし、兄の司馬師が魏の実権を握ると、その右腕として呉・蜀と戦った。255年に兄が病死すると後を継ぎ、大将軍として魏の全権を握る。皇帝の曹髦が「司馬昭の心は道行く人も知っている」と言って自ら剣を取って討ちに出た時、配下の賈充が成済に命じて皇帝を殺させ、司馬昭は成済だけを処刑して責めを逃れた。この事件は彼の名に消えぬ汚点として残る。しかし政治と軍事の手腕は確かで、263年には鄧艾・鍾会を派遣して蜀を滅ぼし、降伏した劉禅を安楽公として優遇した。鍾会の反乱も自らの出陣で未然に封じている。晋王に昇り、禅譲を目前にしながら265年に没し、息子の司馬炎が魏に代わって晋を建てた。帝位を取らずに息子に譲った点では父に似た、忍耐と実利の人である。
名場面
司馬昭の心
魏の皇帝・曹髦は、司馬昭に権力を奪われて飾り物同然の身であった。ある日、曹髦は側近を集めて言う。「司馬昭の心は、道行く人でさえ知っている。座して廃されるのを待つより、戦って死ぬ」。数百の宦官や召使いを率いて剣を手に宮殿を出た。立ちはだかった賈充は配下の成済に「何のために今日まで養ってきた」と叫び、成済の矛が皇帝の胸を貫く。司馬昭は知らせを聞いて床に身を投げて泣き、成済を三族もろとも処刑した。
此間楽しみて蜀を思わず
蜀を滅ぼした司馬昭は、洛陽に連れてこられた劉禅を宴に招き、蜀の音楽と舞を演じさせた。蜀の旧臣たちは涙を流したが、劉禅だけは笑って楽しんでいる。司馬昭が「蜀が恋しいか」と問うと、劉禅は「ここは楽しくて、蜀のことは思い出しません」と答えた。司馬昭は賈充に言った。「ここまで無心では、諸葛亮が生きていても支えきれまい」。
鍾会の反乱を封じる
蜀を滅ぼした鍾会は、鄧艾を陥れて捕らえ、姜維と組んで成都で独立を図った。だが司馬昭はすでに鍾会の野心を見抜いていた。賈充に兵を与えて漢中へ向かわせ、自らも十万を率いて長安に進む。「鄧艾一人を捕らえるのに、司馬昭自ら出てくるはずがない。わしを疑っているのだ」。追い詰められた鍾会は性急に事を起こし、魏兵の反乱で殺された。司馬昭は一兵も失わず、二人の功臣を同時に始末したのである。
「司馬昭の心は、路傍の人も皆これを知る」と曹髦に言われた
正史ではどうだった?
正史でも兄司馬師の後を継いで魏の全権を握り、曹髦殺害、蜀討伐、晋王就任と演義の流れはほぼ同じ。劉禅との「蜀を思わず」の問答も正史の注に記録されている。帝位に就かずに没し、息子の司馬炎が晋を建てて文帝と追号した。