司馬炎しばえん 字・安世
魏から帝位を奪い、呉を滅ぼして三国の物語を閉じた男
人物
司馬懿の孫、司馬昭の長子で、三国の時代に終止符を打った晋の初代皇帝武帝である。祖父司馬懿が曹爽を倒して魏の実権を握り、父司馬昭が蜀を滅ぼして晋王となる。司馬昭が死ぬと、司馬炎は晋王を継いでわずか数か月で魏の元帝曹奐に禅譲を迫り、曹丕が献帝から奪ったのと同じ形で帝位についた。国号を晋とし、都を洛陽に置いた。その後は内政を整えて国力を蓄え、羊祜・杜預らの献策を容れて呉の討伐を決断する。二八〇年、晋軍が長江を下って建業に迫ると孫皓は降伏し、黄巾の乱から約百年の分裂の時代は終わった。しかし統一後の司馬炎は政治に飽き、後宮に一万人の女性を集める贅沢に溺れた。暗愚な太子を後継に立て、諸王に強大な兵権を与えたことが、死後の八王の乱と晋の崩壊を招く。天下を統一しながら、その天下は長く続かなかった。
名場面
禅譲の再現
司馬炎は魏の元帝に「魏が漢から天下を受けたように、今度は晋が魏から受ける時だ」と迫った。元帝が涙を流して拒むと、司馬炎の側近は「あなたの祖先曹丕が献帝にしたことを思い出せ」と脅した。禅譲の儀式は、かつて曹丕が受禅台で行ったものと寸分たがわぬものであった。史家は「魏が漢を奪った方法で、晋が魏を奪った。天の報いである」と記す。曹操が築いた魏は、司馬懿の孫によって四十六年で幕を閉じた。
呉を滅ぼす
司馬炎は二十万の大軍で呉征伐を命じた。王濬は巨大な楼船を長江に浮かべ、呉が川に張った鉄鎖を火で焼き切って下流へ進んだ。杜預が「竹を割るようなものだ」と言ったとおり、呉の城は次々と降った。孫皓は自ら縛って棺を引いて降伏し、洛陽に送られた。司馬炎は孫皓に席を用意して「ずっと前から卿のために空けておいた」と言うと、孫皓は「わたしも南で陛下のために席を空けておりました」と返したという。
「ずっと前から、卿のためにこの席を空けておいた」
正史ではどうだった?
正史でも司馬昭の子として魏から禅譲を受け、二八〇年に呉を滅ぼして天下を統一した点は同じである。統一後は占田制などの制度を整えた一方、贅沢に流れ、羊車の逸話も正史に記される。後継の恵帝が暗愚だったために八王の乱が起こり、統一からわずか三十余年で晋は南に追われた。